ペレとナマカオカハイの姉妹喧嘩‼︎ | 鎌倉 ロミロミ me ke aloha

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「ペレの骨」が見える。

Koki beach Park   マウイ島

photo by wallpaper.com



ALOHA!




今回は激しい姉妹喧嘩の話です。


読み進めている「ペレとヒイアカ」。


ハワイ語のオリの部分を中心に読み進めていたのですが、以外と…英語の語りの部分が非常に重要な事が描かれている事に気付きました。


その後に続くセリフ、



Aloha Oahu, e e!

Aloha o Maui, aloha, e!

Aloha o Molokaʻi, aloha, e!

Aloha o Lanaʻi, aloha, e!

Aloha o Kahoʻolawe, aloha, e!

Ku makou e hele, e!

O Hawaiʻi ka ka aina

A makou e noho ai a mau loa aku;


-Pele and Hiiaka: A Myth from Hawaii
N.B. Emerson, 1915



次回はこの部分へと突入しますが、


これはペレがどの様な状態において発した言葉であるのか???


うーん、


物語のスタート、いや、まだ序章であるのに、

この序章がペレの全てと言ってもいいかも知れない。



さて、この時、卵から孵化するヒイアカは姉のこの姿を知っているのだろうか??


ずっと後に、ヒイアカが旅する中で出会うマラエハーコアから、姉ペレについてのこの辺りの深いストーリーを聞くことになる。


それを聞いて、ヒイアカはどう思うのだろうか??


これまで出会ったどんなドラマよりも、どんな映画よりも、私はこの神話が興味深くてたまらない。

単にストーリーが面白いのではなく、物語の設定が霊界と現実が織り混ざり、非常に精神的でありながら、読めば読むほどに、私たちを現実の場所への旅へと誘って行く…。


その旅は、地球を知る為の旅である。

そして、地球と宇宙、宇宙と神、そして神と人間の関わりを味わうことになる…。




現実に、私にも姉がいる。


子どもの頃は、仲の良い時も、殺し合い寸前の喧嘩も経験した。


素直で成績優秀な姉は親のお気に入り、

反発ばかりで本番に弱く、いつもイベントの前日に熱を出してダサい私は常に家族のみそっかす。


姉は太陽で、私は闇。


の様な存在だった。しかし、


これが成長するにつれ、逆転劇‼︎が起こったり、

そのまた逆転・・・と、なんとも落ち着かない関係が続いていた。


しかしある日、激しい喧嘩の最中、私が姉を目がけて投げつけたスチール製のゴミ箱が彼女の額に当たり、大泣きして母親に言いつけた時、全てが終わった。


成長し、姉よりも自分の腕力が強くなっていたこと、また、怒りのエネルギーが強く一線を超えることが出来てしまう自分を見て呆然!としてしまった。


この日から私は姉との喧嘩を避ける方向に向かった。


性格も考え方も、持っている性質も真逆。

お互い憧れはあるが、近づくとストレスになる。




今回、ペレと、姉のナマカオカハイには命がけの闘いのシーンがあった。



ペレの兄たちは、「なぜ執拗にペレを追いかける?」とナマカオカハイに言う。



同じ家族である。しかし、同じ家族だからこそ、お互いに親の愛を独り占めしようとする。嘘の忠告を親にしたり、相手の嫌な所を親に訴えたりと、家庭の中で自分が優位に立つ為に喧嘩を繰り返し、だが、


最後は自立してその場を去り、お互いに自分達の住むべき場所を見つけ、付かず離れずうまくやる。親が良かれと思って頑張って産んだ兄弟姉妹とは、そんな存在に過ぎない。



なんだか、、、

まさに、ロシアとウクライナの戦争の様だ。


元々は陸続きの同じ民族であるはず。

しかし今はお互いに、相手がどれだけ悪事を働いてるか?という情報を世界中に流すのに必死だ。


目的の為に相手の国にリアルなダメージを与えたくてやっているというよりは、両国とも、この際ダメージは、フェイクや作り絵でも何でも良くて、全世界に相手を「酷い国だ!」と世界中に思わせる写真や動画を流す事が目的で、その感情を利用して経済制裁や、逆に資金集めを行なっている、そんな戦争に見えてならない。見えてる被害も重大であるが、水面化のお金の動きが真の目的と感じる。

となると、この争いは、エネルギーのぶつかり合いでは無いのかも知れない。



ただ戦争となると、政治的に深い関わりのない庶民が巻き込まれるので、それは必要無い。と、そこは重々踏まえている。


が、個人的に、戦争ではなく、

人と人の喧嘩について、


私の持論としては、誰かが仲裁に入るのは喧嘩が終わって財産分与?!の時だけで良く、



喧嘩は、(暴力抜きという条件の元)、徹底的に炎が燃え尽きるまで闘うに限る!と思っている。


だから、仲裁に入ったカーネミロハイに少々イラつきを感じた…。


私の考えは、例えば夫婦喧嘩もリビングで思い切り怒鳴り合い、子供に見せて良いと思ってる。


なぜ、この人たちは怒っているのか??

と、考えるきっかけが出来る。

分からないなりに、人間を学ぶきっかけとなる。


寝室でコソコソ言い争いして、リビングでは仮面夫婦を演じるのは、子どもは一番不安定になる。

親の嘘の姿だからだ。

親の闇を感じながら、子どもにも嘘の幸せを演じさせてしまうのだ。そして、なぜ家庭が壊れたのか、彼らには一生謎が残り、結婚への不信感とは不仲が起こしたのでは無く、大人がコソコソ喧嘩したことに起因すると私は考えている。


仮面夫婦を続けニコニコしてたのに、ある日突然「離婚する!」と言われた子どもは完全に部外者扱いだ。

こっちの方が傷つくんじゃないか??


毎日争いを見て生活するのは苦しいし、勉強など手につかない。しかし、人間というものの狡さやエゴの固まりを現実に親に見る経験は時が経つと偉大なものになる。いくら大学で心理学を学ぼうが哲学を専攻しようが、そのリアルな経験を超えることなど到底出来やしないのだから。なんせ実物を見てきたのですから…。


本物!を見てこそ、人間を知ることができる。


あの母と父の激しい喧嘩🔥を見て生きて来たから、自分の周りのイザコザなど「ふーん、大変ですね〜〜…」で終わってしまう寛容さが私に育った。


私の両親は、リアル、ペレとカマプアアの様だった。

お互い好きではあるが、常に大暴れ。

そして姉と私の喧嘩、もう、メチャクチャ…。。


がしかし、ここで人間を深く知った。


だから逆に、平和な家庭に育った子どもが幸せな大人になれる…とも限らないことも分かる。大人になってから人間の強いエゴに出会い、パニックになり悩んでいる人が沢山居る。




ペレとナマカオカハイの血を見る争い。


兄たちはなだめようとしたが、姉妹にスルーされ喧嘩は終わらなかった。やるとこまでやってしまう!そんな所が、私がこの物語の大好きな理由。


仲裁とは、持っているエネルギーを出し切らずに終わらせてしまう。

それは、実はその人達のマナを弱めることになるのだ。


「まぁまぁ、喧嘩はやめて」という仲裁人は、私から見たら臆病者で偽善者だ。




一度でも、「テメー!!ぶっ殺してやる!!」


というエネルギーを本気で相手にぶつけたことがありますか?


私は出して、近所の人に「うるさい!通報しますよ」と3度怒られた。


しかし、自分が怒りの物凄いエネルギーを出すからこそ、出した私に神はその分のエネルギーをくれると分かった。


怒ればいい、と言ってるのではなく、自分の最大限のエネルギーを噴火🌋させるから、その噴火に相応しい、必要な器を神が用意してくれるのだという理論を私は持っている。



「マナは、どうやったら増えるのですか?」


という質問をよくされるが、


「まず出してください」と答える。


だが、何に遠慮してるのか分からないが、自分のエネルギーを最大限出せる人というのは殆ど居ない。



怒れ怒るんだ!もっと怒れ!と、私は言う。


すると、「怒り方がわからないんです…」と答える人が多い。



じゃぁ、「怒り方教室開きます〜??」とふざけて言ってみたりする。


「やってください!」と、みんな言います。笑




息子が小さいとき、友達にいじめられて帰って来た。なので、私は怒り方を教えた。

怒っていいんだ!と言って、小さな息子に怖い言葉も教えた。


私の見ていない所で、その怒りの方法で、誰かにぶつけたことがあったのか?無かったのか?不明。


しかしそれから、メキメキと息子は腕力が強くなって行った。へなちょこなタイプだったが、今では格闘技をしている。



怒り方教室などはしませんが(*≧∀≦*)、


今度、爆発寸前!のオリを会の皆さまに伝えたいと思ってます。



ドーン‼️🔥🔥🔥🔥



出して、出して、出すのだ〜!!


出すから、与えられるのだ。🌋




me ke aloha!おうし座