PONO 「真実を見つける旅」 | 鎌倉 ロミロミ me ke aloha

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鎌倉小町でロミロミをしています。ロミロミは不思議な施術。どんどん生き方も良くなって行く!。精神世界と猫とコーヒーが好き♫




ベランダから外を見ていたら、

隣の家に、小綬鶏がいました!。


鳥が一羽居る」それが一般的な事実。
「何かが始まる…」これが私にとっての真実。




ALOHA!


メリークリスマス!
Mele Kalikimaka!クリスマスツリー


いきなり本題です。

「事実」と「真実」


の違いについて、考えたことはあるでしょうか??


事実は、謂わゆる現場検証的な、いつどこでだれが何を…の5W1H。つまり出来事そのもの。

真実は、なぜ? そうなったか(そうであるのか) という部分。そして、本当はこういう事だと自分で解釈、感じていること。


私たちは山奥で仙人の様な暮らしをしていない限り、小さな社会のグループに生きています。

そして1番身近なのは家族という社会。


今から、
すごく昔、私が10代でクリアした問題の話をします。


私には姉がいて、お洋服もランドセルも、細かいもの以外は昔、ほぼ全てがお下がりでした。

入学式の前、母は姉が2年間ランドセルをきれいに使ってくれたことを褒め、当然ながら私にそのランドセルを渡し「なおちゃんはこれで通うのよ、良いわね〜」と言いました。

2年前に、姉が新しいランドセルを親戚からプレゼントされ、自ら包みを開けてはしゃいでいた姿を見ていたから、自分はそうじゃないんだ、誰からもお祝いは届かず、古いランドセルを譲られて、入学式のドレスも姉の着たお下がりで、2年前とほぼ同じことを繰り返してるだけなので親もルーティンな感じで飽き飽きしてる感満載。
そして姉にはまた新しい手下げの鞄が買い与えられました。

当然私は、「何でお姉ちゃんの時は全部新品で、私はただのお下がりなの?ずるい!」と物凄い勢いで反発しました。

すると母は、「あら、いいじゃない、お姉ちゃんはあんたの為に傷一つ付けずにきれいにランドセル使ってくれたんだから、普通は喜んでありがとうって感謝するでしょ?そういう気持ちにならないっていうのは、あんたが捻くれものなのよ、ひがみっぽい!あー嫌だ!」と言いました。

ひどい物言いですが、ズボラな母には悪気はなく、かなりのせっかちなので、きつい言葉で一撃することで、私を黙らせこの一件を早く片付けてしまいたかったのです。

そんな日々、「先に生まれた人はそんなに偉いのか?」「なぜ自分だけが常にお下がりなのか?」と不満をぶつけると、
「ひがみっぽいその性格を直せ!」と家族に言われ続けました。こうしたトラブルを避けるため、私は早々に要求をぶつけることを諦め、子どもっぽさを消し、早くクールな大人になる必要がありました。


「ひがみっぽい、理屈っぽい???」


すごく嫌な言葉。
そんなに私はわがままなのかな?そんなに私は無理なこと言ってるのかな?
学校でもみんなに好かれてるし、トラブル起こしてないし、なんで家族からはこんなに嫌われてるんだろう??と、ずっと思っていました。

その上、ペットの飼い犬や外の動物にばかり強く執着し、親の言うことはほぼほぼ聞かないので家族と噛み合ってないわたしはかなり浮いていたため「お前は橋の下で拾われた子だ…」と、冗談とは言え何度も言われると、酷い冗談と笑えなくなりました。
外面は良いのだが、人の思いやりや優しさという情緒面など意味無し、努力してる時点でバカ、それより要領の良さや見た目、点数や結果出せなきゃ意味ないと言い、頑張る過程を全否定する父親の考えがすごく嫌いでした。
そうじゃ無いんじゃ無いかな?と思っていても、なんせ子どもには社会での実績が無いから親を言い負かすことが出来ない。社会で通用しないと言われたらお終いだ。
そんななので、自分の思考が家族全員とかなりかけ離れている為、
しまいには「むしろ橋の下希望‼︎」と思う様に。


今の時代は繊細なので、こんなことを子どもが誰かに訴えれは問題視されるけど、昭和という時代が経済成長期だったので、とにかく親はお金を稼ぐことや自分の地位を上げる現実に熱中し、どこの家でも多かれ少なかれこんな感じがありました。優しい言葉なんかより、教育にお金をかけることが愛だと信じていた親世代。
なので、何でも親の言う通りにする姉は、親にとって都合のいい子でとても「良い子」だったのです。




小さな社会である家族の中で私は…

「ひがみっぽい、うるさい」面倒くさい奴。

それが家族の中での現実、事実でした。



あともう少し長く自分の家族と一緒に過ごしていたら私は、何か自分の意見を言うと嫌われるから黙っている方がいいんだ!という、殻に閉じこもった自分で一生を過ごしてしまったと思います。


でも、「たぶん違う、たとえ家族でも、これが私には真実じゃない。もし、社会やもっと広い世界、外国へ行ってもそうなら自分を変える必要があるけど。たぶんこの家族の考え方は社会や大人のエゴが強く、思考がかなり偏っている」と、強い信念を持ち…


18歳の時に家を出ました。年上のカレシに家を借りてもらってアルバイトをしまくりました。

当時は今と違ったので、まるで家出同然の私を、友達の多くや大人は驚き、軽蔑しました。


でも、
みんなは私のことなんて知らない。軽蔑するならして、居なくなるならむしろ居なくなって欲しかった。


それが私の、

真実を見つける旅」のスタートだったのです。



その後、アルバイトで稼ぎまくり、奨学金を借りて広い広いアメリカを旅すると、自分の感情をきちんとした言葉で表現出来ること、自分の考えをきちんと持っていることは逆に人を惹きつけ、日本語だししかも単語しか話せてないけど真剣だとなぜか相手に通じます、
「君!イイね〜〜‼︎」と、たくさんの人が自分に興味を持ってくれました。これは自信が付きました。感情があっていい、自分の考えを言うことはいい!という価値観が日本の外には強く強く存在していたのです。




真実…


自分の近い人たちから受ける影響は強いので、その人たちの都合でいかにもそれが事実であると自分を評価されると、それを、真実なのだと思い込んでしまう。つまりこれがマインドコントロール。

人は自分の都合のいい様に人を動かそうと、無意識に他人をコントロールする生き物です。
自分の都合のいい動きをする人を変に褒めたり大切にして見せて、そういう人を手元に集めます。
ここに悪気は無いのが厄介で、意識が低い人ほどこれをやってしまいます。そして意識が低い人ほどそういう人に依存し自己主張せず気に入られようと行動する。
そして病気になるというルートを辿る。



これは正しい、間違ってる、というジャッジも、家族や社会の小グループによって認識は全く違う。


自分とはかけ離れた思考を持つグループに、自分をジャッジ、評価させてはいけない。
そこには関わらず、距離を置き、お互いそっとしておくことがマナー。

我慢して感情を殺してそこに居ることは逆にその人たちを侮辱すること。
もし、その人たちの価値観が、お金や地位や見栄やエゴしかないとしても、

しかしそれを軽蔑しながら「そこに居る自分」。

軽蔑してるくせにそこに我慢して居続けている行動は、むしろ偽善。
いい人のふりをしてそこに居続ける。
しかし、相手も自分を軽視していることは薄々見抜いています。

なので、そこで浮いてる自分、仲間外れにされるのは当然で、言い換えればその現象こそがそこでの本音だし、真実なのです。

向上心の少ない人種は、自分よりもあまりに高い意識をもつ人間と過ごすことは、現状維持が好きなマンネリな人々にとって脅威でしかなく、強くストレスを感じるのです。

一般的には善良な人がなぜかそこで嫌われる現象が起きるのか??、は、そこです。
相手が崇高であればある程、自分の下衆な部分が見えて辛いのです。

でもそれこそ、


「ここに居るな!」という自然からの最後のメッセージ。かなり辛いヒントだけど、実はこれが自然が与えてくれる最高で、最後のギフトです。
この最悪な状況が、
自分の真実を見つける旅へのパスポート!

なのです。


もし、関わってしまったらタイミング良く逃げ出すことがルール。


自分の価値は、せめて自分と思考の方向性が同じ中でなければ、それを出す必要も感じる必要もない ということです。


周りの人と上手くいかないと、自分がダメな人間なのかと一瞬人は挫けそうになる。

しかし、人間が侵してはならないダメ事項なんて、
モーセの十戒」くらいなもの。
法律もそこを基盤にしていると思う。

だから、自分の息子には十戒以外なら好きにやれ!!と伝えています。

しかも!!十戒の最初の3つだけでいいと思います。嘘つくな!と言われても、お世辞や謙遜は嘘だらけ…。 


ダメな人なんて、通常の世界には、居ません。



ヒヨコ


小綬鶏が来た!


「ふーん、だから何なの?」


「何か新しいことが起きる気がする」


「は???頭おかしいんじゃ無いの?」


「んー、つまらないな」(心の声)


現実だけを追ってる人は、目に見える現実だけを欲しがる人。

現実から空想を起こす人は、空想というフィルターを通してもう一つの新しい現実を作って行く人。


それが、「Ka Ao」。

現実から物語を空想して、新しい現実をも創造する。これがクリエイティブな世界。

Ka Ao
これを尊重する場所はHawai'i以外には私は出会えなかった。

10代から、長い長い真実を求める旅を続けHawai'iと出会い、思考の路線が同じ世界観に出会えました。

自分にとってのPONOを大切にすることが生きることそのものなのだと、
知ることが出来たのです!。✨✨


それを悟ってから、考え方の違う家族とはいい距離で、楽しく会うことが出来ています。



PONO  その人本来の姿。



サンタ



良いクリスマスを🎄



me ke aloha!ジンジャーブレッドマン