まず、Moku Ola 島に渡り、ヒロという場所にご挨拶に行きました。
先生がなぜこの曲を私たちに教えてくれたのか、その意味がここに立って初めて、一気に自分の中に入ってきました。
A Hilo Au
A Hilo au ē
ho'olulu ka lehua ē
A Wailuku ē l
i ka lua kanaka ē
A Haili ē
Ike kula manu ē
A Moloka'i e
Ike ala kahi ē
A Pana'ewa ē
ika moku lehua ē
A Leleiwi ē
ʻIke i ke kai ē
A hāʻina ē
Nou e ka Lani ē
He inoa no Kauikeaouli
ALOHA!
ハワイ島のヒロから、日本に戻りました!。
まず、私が「研修」や「修行」と言って、一体いつも何をしているのかというと…
説明します。
私はロミロミをしています。
が、私のロミロミの流派というか、先生のクムがアンティマーガレットさんなのですがもはやこの世にはいらっしゃいません。
しかし、ロミロミはやればやるほど私にとって大きな可能性を感じるものとなり、更に深くHawai'iの叡智をハワイ人の方から勉強したいと常に思っていました。
が、かなりの時間をかけて探しましたが自分の学びたいことを提供してくれる場所はどこにもありませんでした。私が知りたいことは、ロミロミの手技ではなく、Hawai'iの叡智なのです。
こうして自分自身で手探りで勉強しているうちに、色々なご縁でフラの先生からフラを通してHawai'iの深い深い歴史や哲学が学べることになりました。
普段は先生が月に一度日本へ来てくださいます。が、今回は生徒が先生のお住まいであるハワイ島のヒロへ訪問する機会を得ました。
ロミロミなのに、何故フラ?? と思うのですが、もはや、フラを勉強していなかったら今の自分のロミロミは無いとさえ思えます。
ロミロミとフラ、
一見関係の無い様に見えますが、
私はフラに限らず、Hawai'iの人が生活の中で行なっていることを、自分も出来る様になりたいと思うのです。
地面に足をつけてどっしりと構えられること、
自然を身体で表現出来ること、
そして場と自分を繋げる祈りや、
クアフ、キノラウ(祭壇、霊的な植物からのインスピレーション)
などが存在しなければ、ロミロミもフラも、ただ形式的なロミロミという名前のついたマッサージ、フラという名前のハワイのダンスになってしまうのは、同じことだ、と。
ブログでも何度もつぶやいておりますが…
日本人である自分が日本でロミロミをしてもフラを踊っても、ただHawai'iに憧れ、Hawai'iの人のマネにすぎないのではないか…と今もどうしても思ってしまう時があります。
が、そんな時、お相撲さんを例に考えます。
日本人でない、Hawai'iから来た小錦や曙は、私たちはお相撲さんと認めていなかったか???
答えは
Aʻole!
違います。
彼らが相撲をとる姿を見て、外国人のとる相撲は相撲ではないなんて、一度も思ったことはありません。すごいな〜と純粋に思っていました。
ただそれは、彼らが人生をかけて相撲という世界に入り、日本の相撲部屋で修行をした経緯があるからだとも思います。
それと同じと言うにはおこがましいけれど、やはり本当のHawai'iを学びたいと思うとき、生粋のハワイの血が流れるハワイ人の先生から、人生をかけてでも学びたいというのが私の行き着いた答えでした。
特にロミロミに欠かせない祈り、OLI を学ぶ時には、理屈抜きに、Hawai'iの血を感じたいと思うのです。
そして、私の中ではフラも、究極の祈り、究極の神への奉納だと認識する様になりました。
今私が習っているのはHula kuahu という儀式や奉納で行われるフラです。
現代フラを意味する楽しく踊る‘Auana とはまた別です。 もちろん‘Auanaも好きですが。