2018 オアフ島 「オアフで私も考えた…個性って」 | 鎌倉 ロミロミ me ke aloha

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鎌倉小町でロミロミをしています。ロミロミは不思議な施術。どんどん生き方も良くなって行く!。精神世界と猫とコーヒーが好き♫

 

島…

 

海…
 
こういう場所に居ると人は心が解放される。
なぜ解放されるのか?
 
自然体でいることを誰にも咎められないからだ。
 
 
でも、社会に戻ればどうだろうか??
 
その人にとっての自然体が、社会のリズムや速度、常識と少しズレていたなら、社会はその人を注意したり仲間はずれにするだろう・・・。
 
 
オアフ島 クヒオビーチ
 
 
 
 
ALOHA!
 
 
今回の旅では、珍しく自然よりも「人」と一緒に過ごす時間が多かった。
改めて人とというものについて、ポロッポロっと話す機会がありました。
 
話題は、人の「個性」についても…。
 
 
 
人 というのも自然の一部。誰一人同じ人間が世界中に一人と居ない…というのが、自然の作った人間の世界。
 
その個性が織り混ざること(争いや衝突も含めて)で世界…地球は構成されてる。
 
 
だが、例えば何かしらの成功や利益を求める集団において、(本人に悪気はなく、しかし)その集団にとってはあまりに斬新すぎる行動を取ってしまう人がいれば、「あなたの居る場所はここではない」という空気を集団が発してくる。
それもまた自然な流れではある。その集団はみんなで仲良くすることよりも目的を達成したいのだから。
 
 
 
日本という国は、あらゆる面で足並みが揃っていることや、みんなと同じ… ことを好む傾向があるので、戦後多大な影響を受けてきたはずのアメリカの個性を認めるという風潮に憧れつつも、その部分で言えば真逆の生き方(例えば精神団結、隣組…)で成長した国なので、他人の個性を認めるという精神に一人一人が変化をすることはかなり難しい。
表向きはそうしていても、個性を認める社会になるのは100年かかっても無いだろうと私は思っています。
だが、それすらも日本の個性、国民性。
 
 
だから、スポーツ界では日本人の活躍が著しくなりつつあるけど、世界的に名を馳せるアーティストが未だ殆ど居ないのは(地下的には沢山居ますが)、教育においての徹底的な個性容認の姿勢がこの国には根付かないので、当然かなと思います。アートは個性の追求作業だから。
 
 
 

 
他の個性を認めるということは、実は簡単なことでは無い。
 
自分の言葉で相手を無理に押さえつけることも束縛することも変えようともせず、
ありのままに自由に生きて欲しい…
 
と、決して投げやりではなく本心でそう人に言える状態というのは、
 
自分があらゆる面で自立していて初めて成立する。
 
 
 
 
精神が成熟し、各自が自立、独立出来てる人たちの、そんな集団に居たことがあるでしょうか?
そういう集団は快適です。
集団と言っても各自自律して、皆一人でもやっていけているので、今さら他人のことをどうこう言う人は居ません。
 
自身の精神的自立が在って、初めて相手の「個性」や「生き方」を本心で認めることが出来るのです。
 
 
何故なら、相手に依存していないから。
だから言いたいこともストレートに伝えられる。
なぜならもしも嫌になって自分の前からその人が消えても、むしろそれが自然で、それも受け入れる事を覚悟して生きているからだ。
 
 
 
 

 
精神が自立していること。
 
一人でも生きていけとること。
 
それが出来ていると自分を生きることが楽だ。
それは何か起きたら自分で解決する力を持っていること。
責任をとれること。
それらを持っていれば、
人生はガラリと自由で快適なものになる。
 
 
そうであるからこそ、逆に精神的自立が出来ていない人、一人で居られない人、しょうがねーなー的な人の個性も認め、
 
「そっか…」と言って
 
自分の所に来た人を受け入れる事が出来る。 

だが、その関係にすらどっぷりと依存することもない。
 
 
 

 
 
個性を認めてくれる社会を求めるのなら、
こちらも、認めてくれないその社会や人の存在をも一旦認める必要がある。そして何故そうなっていったのかを考えてみることが相手を認めること。
 
 
 
だが、そうやって物を見るようになって気づいたが、自分が思ってた「社会」って、一つでは無かった。
自分の個性に合う社会が他にいくつも存在してた。
そして小さな社会を自分が作る事だって出来ると知った。

個性を認めて欲しいと思っていた自分は、その狭い社会しか知らずにそこへ依存し、怖がるばかりで言いたいことを言えずにフラストレーションを溜めていたのだなと思う。

何が何でもそこでどうにかしようとすることは自立ではない。そこはそこの価値観でもって動いていて、自分は別の価値観を持つ場所へと自力で移動出来ることが自立だ。
 
 
 
生きやすい場所を求めて旅をするジプシーの物語を、
 
わたしはわたしに、
 
いつも読み聞かせています。
 
 
生きる場所は、決して一箇所だけでは無いと…。
今、草の生えてる場所へと移動することを私は遠慮しないし、他人がそうしていることも認めよう、と。
 
 
 
 
me ke aloha!お星様