日本から春と秋がなくなっちゃったんでしょうか。
さて、亡くなった父は骨董品を集めるのが趣味でした。
刀剣からはじまり、鐔(つば)、小柄(こづか)、浮世絵、日本画、等々。
父が生きていたら「なんでも鑑定団』を欠かさず見ていたことでしょう。
今、その数々の骨董品は実家にはありません。
二束三文で父の骨董好きの連中に買い取られてしまいました。
父が亡くなってから日も經たないうちに、骨董仲間が一人暮らしの母の所に度々やってきました。
彼らはどんな物を父が所有していたか、よく知っていたんです。
というのも、父は生前うれしそうにコレクションを彼らに見せていましたから。
母は父の趣味にはまったく興味がなく、父が一体いくらで購入したのか把握していなかったようです。
彼らは父を亡くした母に同情(するフリ)して、入れ替わり立ち替わり何度もやって来ました。
未亡人になったばかりで気落ちしていた母は、それを親切だと勘違いしたちゃったようです。
そのうち彼らは父の遺したものを売って欲しいと言い出します。
これが彼らの本当の狙いです。
普通の精神状態なら、この位わかるはずなんですけどね。
結局、彼らの言い値で骨董品の数々を売ってしまいました。
ずいぶん安く買い叩かれたようです。
彼らはそれぞれお目当ての品をゲットしたら、手のひらを返したように二度と家に来ることはありませんでした。
そりゃそうでしょ。
いい物を格安で(少なくとも一桁、物によっては二桁くらい安く)手に入れて、それがバレたらまずいもの。
彼らはまるでハイエナのように集ってきて、エサが無くなれば見向きもしない。
餌食にされたほうは、たまったもんじゃありません。
当時、兄も私も母の身に起こっていることに全く気づきませんでした。
母だけを責めることはできません。
父のコレクションの中に好きな浮世絵が何枚かありましが、もう見ることはできません。
でも、父のおかげで私は普通の人よりはちょっとだけ浮世絵について知っているかな。
雪華(雪の結晶)模様の象嵌があしらわれた鍔もお気に入りでした。
これは父と銀座の刀剣店に行ったとき、「これシャレてるね」という私の一言で購入したものでした。
今となってはどうすることもできませんが、思い出すたびハイエナたちに怒りがこみ上げてきます。