2019年4月のフランス紀行です。
古代オリエント美術を見ていきます。
紀元前18世紀に、バビロンの王ハンムラビによって建てられたメソポタミア文明の象徴です。
聖書の律法以前に作られた、最も完全な古代の歴史的著作と法令集が玄武岩に刻まれています。
「目には目を」の条文で有名ですね。
紀元前2340年頃のものと見られます。
シリアのマリ遺跡の神殿から発掘されました。
紀元前8世紀のものです。
新アッシリア(イラク北部)のサルゴン2世の都コルサバードから出土しました。
紀元前510年頃のものです。
アケメネス朝ペルシア帝国(イラン)のダレイオス1世の時代のものです。
紀元前510年頃のものです。
《不滅の軍隊》と歴史家ヘロドトスに名づけられたダレイオス1世の近衛兵と言われます。
古代エジプト美術を見ていきます。
第4あるいは第5王朝?(前2600-前2350年)のものです。なんと4500年前の作品!
この人物の名前、称号、生きていた正確な時代については何も分っていない。それにもかかわらず、この像は見学に訪れる人々に、深い感動を与える。
パピルスに何か書きものをしてます。もともと何か筆記用具を持っていたらしい。
近代絵画や彫刻中心に見ていたため、どうしても古代美術は駆け足になってしまいました。
いつも作品撮影する時は、紹介プレートを同時に撮影するんですが、その時間も無かった。
ルーヴルはあまりに広大すぎるんです。
プトレマイオス朝時代、紀元前332〜紀元前30年のものです。
この時代の風習に従って、遺体は亜麻の包帯で丁寧に巻かれており、なかでも顔面は芸術的なまでに見事に仕上げられています。
スフィンクスです。
紀元前2600年頃のものです。この彫刻は、エジプト国外で保存されているスフィンクス像のうち、最も大きいものの一つです。
紀元後120〜130年のものです。
エジプト、アンティノポリス(アンティノエ)の出土です。
この辺はローマ帝国時代のエジプト芸術のようですね。
すごく写実的ですね!
革命後の1793年に美術館としてスタートしたルーヴル宮ですが最初の姿は要塞でした。
1190年、外敵の侵入を防御するためにこの要塞を築いたのは、フランス国王フィリップ2世 (尊厳王)でした。
要塞の姿はシュリー翼地下で見ることができます。
1980年代のルーヴル改造の際に発掘され、そのまま地下通路として活用されています。
リシュリュー翼にあります。
ナポレオン三世は、ナポレオン・ボナパルトの弟の子供です。
つまり甥っ子ですね。ルイ・ナポレオンという名前です。
政治力は凄まじく、王政廃止後まずは大統領に。
その後、クーデターを起こし、1852年に皇帝に即位。第二帝政を開きました。
オスマン知事に命じた「パリ改造」もナポレオン三世の時代の業績です。
リシュリュー翼にあります。
1856年から61年にかけて、ルーヴル宮とチュイルリー宮をつなぐために造られました。
ミッテラン大統領によるルーヴル改造までは、大蔵省として使用されていたとか。
玉座かな?
シュリー翼にあります。
アンリ2世 Henri II とディアーヌ・ド・ポワチエのモノグラム HD が刻まれていますね。
この階段の浮き彫りは、フランス・ルネサンス彫刻の大家ジャン・グージョンによるものです。
シュリー翼にあります。王侯貴族の生活空間が再現されています。
1701年の作品です。
太陽王と呼ばれ、フランス史上もっとも重要な君主と言われます。
シュリー翼にあります。
ミュージアムショップです。何箇所かありましたが、下の写真はドゥノン翼モナリザそばの売店です。
ルーヴルは回るだけで3日間かけましたが、やっぱり感覚が麻痺してきましたね。疲労のためか名画を見ても「ふ〜ん」みたいに通り過ぎてしまう感じになりました。
食事はカフェやレストランが館内にありましたが、高いのはいいけど混雑してて入る気になりませんでした。で、ナポレオンホールでサンドイッチとジュースを買って8ユーロちょっとで済ませてしまった。
見られない作品もありましたが、ルーヴルは長い間一番来たかった場所だったので、本望ですね。
ルーヴル閉館とともに、パリでの観光は終了。チュイルリーで1時間ぐらい散歩したり、ぼけっとした後、シャルル・ド・ゴール空港に向かいました。
夜のシャルル・ド・ゴール空港です。
さらば、パリ。
パリ編はこれで終了です。