歴史と文化 巡礼の旅日記
  • 15Nov
    • 兵庫 神戸ふらりとひと巡り【灘高 酒蔵の道】

      関西〜四国旅行3日目(最終日)です。前夜は神戸三宮に一泊しました。JR三ノ宮駅前のドトールかスタバかで(どっちか忘れた)爽やかな朝食をとり、最終日の観光をスタートします。まずはJR三ノ宮駅からJR神戸線の住吉駅に向かいます。まずは全国でも有名な超進学校・灘中学校・高等学校にやって来ました。灘高は住吉駅から徒歩で10分くらいというところです。グーグルマップのおかげで、初めての土地でも余裕で動けるようになりましたwこれが、あの灘高(灘中)だ!!灘は、東の筑駒と並んで、実力日本一。最難関の進学校です。東大理Ⅲと京大医学部の圧倒的な合格者数がそれを証明しています。ちなみに東大理Ⅲ合格者数比較筑波大附属駒場 17名灘 15名開成 10名桜蔭 8名聖光 4名麻布 4名ラサール 2名栄光 2名渋谷幕張 2名筑駒はさすがですね。しかし灘はこれ以外に京大医学部に22名!合格しているという。どんだけ層が厚いんだよって感じですね。この2校は別格だよな。柔道家でもあり、教育者としても著名な嘉納治五郎が設立に関わっているんですね。治五郎は地元出身で、酒造の白鶴の一族らしいですね。とりあえず一周してみるかw野球部が練習してるようですね。人工芝だよ!さすが灘。文武両道で頑張れ!住吉川沿いを歩いていきます。六甲ライナーの魚崎駅から一駅ほど乗ってみました。六甲ライナーとは住吉駅から六甲アイランドを結ぶ無人運転の車両です。ばっちりホームドアです。ゆりかもめみたいですね。楽しい。あっさり一駅で下車w 余裕で歩けたけど単に乗りたかっただけです。南魚崎駅で下車して、酒蔵の道を目指します。まずは「白鶴酒造資料館」へ、時間があれば「菊正宗酒造資料館」もまわってみようと思います。灘は江戸時代以来、酒づくりが盛んな地域として知られます。工場制手工業(マニュファクチュア)が行われていたということは知られています。要は分業化されてた、ということですね。この土地は、日本酒造りに適した上質の酒米(山田錦)と、ミネラルが豊富な上質の地下水が取れます。また「六甲おろし」という季節風は、決まった時期に決まった方角から吹くため、窓の開閉だけで酒蔵の温度管理が可能でした。そして製品の水上輸送に便利な港があったことから、江戸時代中期以降、日本酒の名産地として大いに栄えました。江戸時代でも初期は伏見や伊丹が中心だったらしいんですが、海に面した灘が地理的優位を生かして、栄えていったらしいです。日本酒メーカーの白鶴の「白鶴酒造資料館」にやって来ました。「白鶴酒造資料館」は、昭和40年代中頃まで実際に清酒醸造に使われていた本店壱号蔵を改造して開設されました。内部は昔ながらの酒造工程をそのまま保存し、作業内容を再現するため、等身大の人形を配置するなど、清酒の生まれるまでを立体的にわかりやすく展示しています。やたら馬鹿でかい樽だな!何やってんだ?こいつらwこれ、後で2階に上がったらわかりました。樽を上に引っ張り上げようとしているんですね。シアターでは灘の酒造りを学べます。これが酒米「山田錦」の稲穂ですね〜。酒米です。「唐箕(とうみ)」です。グルグルハンドルで風を起こし、米と俵に混入した藁などのゴミを選別します。これは「蒸米」の作業です。大釜の上に甑(こしき)を乗せて、酒米を蒸気で蒸していきます。「放冷」の作業です。蒸した米をむしろの上で冷やします。鍬みたいなので均して冷却を均等にします。「麹(こうじ)取り込み」の作業ですね。蒸米に麹菌をふりかけます。「酛立て(もとたて)」という作業です。蒸米と麹と水をかき混ぜることで、酵母を増やしているそうです。「仕込み」の作業です。酒母や麹、蒸米、仕込み水をかき混ぜ、発酵させます。沈殿物をとり、殺菌などのために火入れをした後に、桶に重石を乗せて、秋まで熟成させます。これを「貯蔵」といいます。「樽詰」です。完成した清酒は、吉野杉で作られた四斗樽で出荷します。昭和初期の蔵人たちの暮らしの様子です。親方を若い衆がお世話しているのかな?食事内容に関しては、親方も下っ端もみんな平等であったらしいですね。お酒の昔のポスターっていいですね。今も昔も美女を使うんだw利き酒も出来ます。ブログ主は恥ずかしながら下戸ですが、それでも呑み口は柔らかで美味しく感じましたね。もちろんお酒の購入もできます。梅酒買いましたw謎のガイドロボット「ハクちゃん」だってw見学料は無料です!南魚崎の駅から10分くらい歩いたけど、白鶴の資料館は充実してますね。すごく面白かったです。是非オススメです。菊正宗の資料館も言ってみました。こっちは白鶴に比べてコンパクトだった。灘は「灘五郷(なだごごう)」といって、五つの地区に分かれて酒造りが盛んでした。「西郷」(沢の鶴など)、「魚崎郷」(桜正宗、松竹梅など)、「西宮郷」(白鷹、白鹿など)、「今津郷」(大関など)、そして白鶴や菊正宗は「御影郷(みかげごう)」に属します。やっぱり美女の広告はつきもの。クリアファイル買いました。レトロ美女に弱いんです。サクッと1分くらいでまわってきましたwお酒の販売も行ってます。昭和天皇がいらっしゃったんですね。1947年6月、全国巡幸の際に昭和天皇が清酒業界としては唯一「菊正宗」にいらっしゃり、貴賓室にてお言葉を賜ったとのことです。でも大切な玉座を入り口付近にポツンと置くのはいかがでしょうか?サクッとまわって、利き酒して終了です。この後、もう少し灘地区の散策は続きます。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 14Nov
    • 徳島鳴門市 大塚国際美術館巡り③【ゴッホひまわり ルノワール ムンク叫び】

      関西〜四国旅行2日目の続編。大塚国際美術館を攻略中です。大塚国際美術館の今の目玉はゴッホが描いた「ひまわり」の7枚展示です。題して7つのヒマワリ。これはアルルに来て初めて描いたものらしいです。(個人蔵、1888年)これがすごい!兵庫の芦屋にあり、1945年の空襲によって焼失した幻のヒマワリです。(個人蔵→焼失 1888年)今回、(購入に関わった)武者小路実篤の記念館の協力によって、原寸大でよみがえりました。ちなみにこれが「芦屋のヒマワリ万年筆」ですw日経おとなのOFF7月号の付録についてたwゴッホはアルルに「芸術家ハウス」のようなものを作り、たくさんの芸術家たちを集めるつもりでした。そのためにアトリエを「ヒマワリ」で埋め尽くす予定で、下のものは3番目に描かれたものです。(ミュンヘン、ノイエビナコテーク 1888年)しかしアルルには、実際にはゴーギャン一人しか来ず、後の「耳切り事件」を誘発することになります。(ロンドン、ナショナルギャラリー 1888年)東京新宿で見られるヒマワリです。ロンドンの模写(セルフカバー)と言われてます。(東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館 1889年)(フィラデルフィア美術館 1889年)(アムステルダム、ゴッホ美術館 1889年)これもロンドン、東京のものの模写らしい。ヒマワリは終了。ジャック=ルイ・ダヴィッド「レカミエ夫人の肖像」(パリ、ルーブル美術館)新古典主義の肖像画の最高傑作と言われます。レカミエ夫人は当時の超セレブ。ドミニク・アングル「泉」(パリ、オルセー美術館)この女性は生身の女性でなく、泉をあらわす擬人像と言われます。ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」(パリ、ルーブル美術館)アングルの次に、天敵のドラクロワですw真ん中の女性は「自由」の擬人像です。フランス革命を描いたと思ってる人が多いそうなんですが、実際は1830年の7月革命を描いています。女神の左のシルクハットのおっさんがドラクロワ自身だという説があります。この作品は日本にも一度来ていますね。エドゥアール・マネ「フォリー=ベルジェールのバー」(ロンドン コートルード美術研究所)マネの遺作ですね。最後は動けなくなって、モデルをアトリエに呼んで描き上げた作品です。なんとこの作品が2019年来日します。クロード・モネ「印象、日の出」(パリ、マルモッタン美術館)1874年の第1回印象派展に出展して、「印象派」の由来にもなった金字塔的作品です。エドガー・ドガ「舞台の踊り子」(パリ、オルセー美術館)ドガは踊り子の作品をたくさん描いてますが、最も親しまれている作品の一つですね。ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(シカゴ美術研究所)点描法は離れてみると隣り合った色同士が混ざり合い、明るく見える効果があるようです。グランドジャット島とは、セーヌ川下流の中洲で、パリ市民の憩いの場らしいです。エドゥアール・マネ「草上の昼食」(パリ、オルセー美術館)1863年のサロンの落選展で、大スキャンダルを巻き起こした作品ですね。それまで裸体画は、神話とからめて描くのがお約束でしたが、堂々と現実の女性の裸体を描いてしまった。マネは2年後「オランピア」を描き、画壇をさらに炎上させていくことになります。オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(パリ、オルセー美術館)この作品の舞台は、当時のモンマルトルの人気カフェで、ルノワール自身も常連客だったそうです。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「オーヴェールの教会」(パリ、オルセー美術館)ゴッホの「魂の闇」の象徴と言う感じですね。この教会は今でも現存してますが、いたって普通の教会ですよねwジョン・エヴァレット・ミレイ「オフィーリア」(ロンドン、テートブリテン)シェイクスピアの「ハムレット」の悲劇のヒロインの最期を描きました。モデルの女性を実際に浴槽に沈めて描いたそうですね。しかも冬に!!このモデルの女性は風邪をひいてしまい、ミレイは治療代を払わされたそうです。エドヴァルト・ムンク「叫び」(オスロ国立美術館)今話題の「叫び」です。これは1893年に描かれた最初の「叫び」(油彩)です。「叫び」には幾つかのバージョンがあり、今回のムンク展にきているものは、1910年頃描かれたテンペラ・油彩画とのことです。さて大塚国際美術館に一日いましたが、午前中の古代〜中世に時間をかけすぎて19世紀までしかいけなかった!またしても同じ失敗を繰り返しました。しかも印象派あたりから、焦って駆け足wということで、またいつか今度は現代美術から逆流する流れで見学しに来たいと思います。さらに悲劇は続く。土日だということを忘れて、帰路の路線バスを乗り逃し、タクシーを拾う羽目になりました。でもタクシーの運ちゃんから、色々地元の情報を聞き出せたので、良かったということにしておきます。「高速鳴門」へは、またスロッピーに乗って。「高速鳴門」から「神戸三宮」まで一気に移動します。(またしても淡路はスルー。ごめんなさい)1時間30分くらいかかったですかね。ちなみに行きも帰りも阪神バスでしたが、全席予約制で、チケットはコンビニで事前発行でしたね。さて2泊目の宿の、神戸の中心・三宮につきましたが、まずは夕食です。テレビで神戸の名物料理として「ビフカツ」というのを見ました。なるほど、やはり神戸は牛にこだわるんですね!ということで、三宮駅近くのビフカツが食えるお店に入ってみました。グリル一平さんです。ヘレビーフヒレカツ100グラム1600円です。確かにレアです。お〜〜〜美味い!旅行2日目も終わり、明日は最終日。神戸周辺をふらふらした後に、東京へ帰還します。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 13Nov
    • 徳島鳴門市 大塚国際美術館巡り②【フェルメール モナリザ ラファエロ】

      関西〜四国旅行の2日目の続編です。大塚国際美術館で鑑賞した名画を適当にアップしていきます。まずエントランスから、システィーナホール→カフェ・ヴィンセントと進んで行くと、「フェルメールの部屋」に行き当たります。東京では「フェルメール展」開催中ですね。フェルメールは寡作でもあり、人気もあることで一室設けられています。フェルメール「真珠の耳飾りの少女」(マウリッツハイス美術館)寡作で知られ、現存する作品数35点と言われるフェルメールの中で、最も有名な作品かもしれません。口元の微笑から、「北のモナリザ」という異名があります。青いターバンが印象的で、この青はラピスラズリというアフガニスタン原産の高価な宝石から作られた絵の具で描かれています。世に言う「フェルメール・ブルー」ですね。・・などと偉そうに語ってますが、全てガイドさんの受け売りですw大塚国際美術館では2時間もの無料ガイドツアーに参加することが出来ます。もっとも自分のペースで見たくてフェルメール以外はガイドを聞かなかったけど、今は反省しているwフェルメール「牛乳を注ぐ女」(アムステルダム国立美術館)上野の森美術館で出品されている絵ですね。フェルメール「デルフトの眺望」(マウリッツハイス美術館)オランダのデルフトは、フェルメールが生涯を過ごした町です。フェルメールにしては珍しい風景画ですが、個人的にはいちばん好きですね。プルーストも影響を受けたそうですね。これはまだ日本に来たことはありません。フラ・アンジェリコ「受胎告知」(フィレンツェ、サンマルコ美術館)遠近法で合理的に構成された空間が、中世美術と一線を画しています。レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)マリアの腹の黄金の布は、聖母の純潔を意味する記号だそうですね。ラファエロ「アテネの学堂」(ヴァチカン宮殿、署名の間)中央にいる二人は、プラトン(左)とアリストテレス(右)です。プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチがモデル。肘をついて憂鬱な哲学者ヘラクレイトス。ミケランジェロがモデルです。端っこで、カメラ目線の人がラファエロ自身です。ラファエロ「小椅子の聖母」(フィレンツェ、ピッティ美術館)聖母マリアのモデルは、ラファエロの恋人のフォルナリーナという説があります。パルミジャニーノ「長い首の聖母」(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)聖母の曲がりくねった姿態は、マニエリスム様式の特徴とされます。ミケランジェロ「ドーニ家の聖家族」(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)ドーニ家の婚礼に際して制作されたもの。画面は三層からなり、奥の空間が、キリスト教の教えを知らない異教徒の世界。ヨセフのいる空間がユダヤ的律法の世界。聖母のいる空間が恩寵の世界とのことです。なるほど、奥が深い!サンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)ルネッサンスを象徴するようなボッティチェリの2作品です。古代以来、初めて裸体が描かれました。ここから禁欲的な側面の強かった中世は区切りをつけ、古代ギリシャ・ローマの人間賛歌の文化が蘇ります。サンドロ・ボッティチェリ「春」(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)この作品は19世紀初めに行われた修整のため、薄汚れた茶褐色に変色してしまっていました。(粗悪なニスが原因とされます)1980年代に修復されて、鮮やかさを取り戻したことにより、花々が細かい観察のもと描かれていたことが判明しました。レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」(パリ、ルーブル美術館)確かにルーブルではこんなに接近できないでしょうねえ。ティツィアーノ「聖愛と俗愛」(修復前)(ローマ、ボルゲーゼ美術館)着衣の女性が地上、裸体の女性が天上の愛を意味しているそうです。ティツィアーノ「聖愛と俗愛」(修復後)(ローマ、ボルゲーゼ美術館)この作品も修復されて蘇ったんですね。すごく明るくなりました。アーニョロ・ブロンジィーノ「愛と時間の寓意」(ロンドン、ナショナルギャラリー)様々な寓意が込められた難解な作品ですね。結局貞潔を装って愛欲にふけっても、時とともにその真相が暴かれるという教訓があるそうです。ピーテル・ブリューゲル(父)「ネーデルラントのことわざ」(ベルリン国立美術館)この作品には100以上のネーデルラントのことわざが描かれています。中央の「夫に青いマントを着せる」女は、夫を裏切ることを意味しているとか。レンブラント・ファン・レイン「夜警」(アムステルダム国立美術館)集団肖像画として、市民による射撃隊を描いたものらしいです。ところがレンブラントは従来の伝統にとらわれず、架空の人物は書くわ、正面向かせたり、横向かせたり、動きに溢れる物語絵に昇華させました。依頼主の評判は悪かったようですが。エリザベート=ルイーズ=ヴィジェ=ルブラン「画家と娘」(パリ、ルーブル美術館)マリー・アントワネットのお気に入りで知られる女流画家でしたね。彼女は生涯で多くの自画像を残しました。この娘さんも可愛いです。幸せそう。しかし、この娘さんは長じてから素行が悪くなり、しかも親より早く早死にしてしまったそうです。ピーテル・パウル・ルーベンス「鏡を見るヴィーナス」(ヴァドゥーツ城リヒテンシュタインコレクション)このふくよかさと逞しさこそ、ルーベンスです。ルーベンスはこの肉体描写を、イタリア留学時に古代彫刻やルネッサンス作品から吸収しました。コスプレコーナーもあるんですよね。ゴッホの「タンギー爺さん」になりきれるらしいw大塚国際美術館編はもう1回続きます。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 12Nov
    • 徳島鳴門市 大塚国際美術館巡り①【システィーナ礼拝堂 最後の晩餐 モネ大睡蓮】

      関西〜四国旅行の2日目です。今回の旅の大きな目的は、徳島県鳴門市の大塚国際美術館を見学することでした。とにかく広大な美術館(全長4㎞)なので、見学には丸一日かかります。実は2〜3年前に一度来ていて、その素晴らしさに感動し、その広大さに愕然とした記憶があります。結局、その時は3時間ぐらいしか時間が取れず、ものすごく大急ぎで回る羽目になってしまいました。それ以来、ずっと再訪の機会をうかがっていました。今回ようやく悲願を実現できます。そこで今回は万全を期して、前夜の宿は鳴門市内で、しかもなるべくバス停に近く交通の便が良いホテルにしました。ビジネスホテル北洋さんに一泊しました。交通至便、朝食無料、コンビニ傍で文句なし。2日目の朝があけました。大塚国際美術館には路線バスで向かいます。「小鳴門橋バス停」から乗車します。「小鳴門橋バス停」はちょっと小雨が降っていました。遠くに小鳴門橋も見えます。路線バスで20~30分くらい?鳴門は海沿いの町だから、漁業中心かと思いましたが、けっこう企業も元気らしいです。元々は塩田の町だったらしいのですが、今は製塩も近代化して、直接海水から塩が作れるので、今なお形を変えつつ続いているとか。鳴門塩業という会社です。なるほど、「鳴門の塩」ってよく聞きますね。鳴門塩業では塩化ナトリウムの生産も行われ、それが大塚製薬や富田製薬にも提供されているとか!なるほどねえ!確かにポカリには塩分いるよなあ。鳴門は大塚製薬の創業地です。大塚国際美術館は、大塚グループが創立75周年記念事業として鳴門市に設立した日本最大級の常設展示スペースを有する「陶板名画美術館」です。大塚グループの大塚オーミ陶業の技術によって、最大長さ3m、幅90㎝という大型陶板が開発され、そこに世界の名画が転写、再現されました。さあ、着きました〜!さてエントランス。大塚国際美術館の特徴は、山をくり抜いて作られてるところ。B3階からB1階は山の中にあります。ということでB3階から入場券を買って入場します。入館料はお高くて、大人3240円です。しかし本物のルーヴル美術館に行ったら大混雑で近寄れない「モナリザ」も、ここなら間近で見れて触れることを思えば安いものかも?少なくとも私は高いとは思わない。(東京にあったら月1くらいで行くと思う)最近はルーヴル美術館ツアーに参加したお客さんが「モナリザが全然見えなかったよ」と文句を言うと、ガイドさんが「それなら日本に帰ってから、大塚でじっくりと見てくださいよ」というそうです?本当かよ!館内には、厳選された古代壁画から、現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点をオリジナル作品と同じ大きさに複製しています。日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。また、オリジナル作品といえど、経年や災害などによって退色劣化や損失の危険性がありますが、陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、文化財の記録保存のあり方に大いに貢献すると言われています。西洋美術史を学ぶには最高の場所で、まさに美術のテーマパークといったところでしょうかね。大塚国際美術館については、撮影可能ということで、写真を撮りまくったので、何回かに分けてアップしたいと思います。今回は「環境展示」とアミューズメント系と食事系に絞って紹介していきます。「環境展示」とは、名画の展示だけでなく、それが展示されていた建築環境含めて、完全再現するというものです。まさに恐るべし!まずは大塚国際美術館の目玉「システィーナホール」です。ヴァチカン美術館の、システィーナ礼拝堂におけるミケランジェロによる天井画・壁画が環境含めて再現されています。ミケランジェロは教皇ユリウス二世の命を受け、1508年5月からわずか4年で、礼拝堂天井に大フレスコ画を描き上げました。そこには旧約聖書の『創世記』に描かれた「天地創造」の壮大な場面があります。神と人類の壮大なドラマ。「デルフォイの巫女」です。映画「ET」に引用された指と指のタッチも見られるね。またローマ教皇クレメンス7世が注文し、ローマ教皇パウルス3世が完成を命じた、1535年から1541年にかけて描いた『最後の審判』は、ミケランジェロ絵画の頂点と言えます。ちなみにミケランジェロの世界に迫る「ミケランジェロ 愛と死」という映画が上映されましたね。見てないけど。11/17〜12/6まで特別上映するみたいですね。東京ではユナイテッド・シネマ豊洲で上映するもよう。行こうかな?イタリア・ポンペイの「秘儀の間」です。ポンペイは、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市です。西暦79年8月24日の昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られます。火砕流の速度は時速100km以上あり、多くの市民が生き埋めになりました。ポンペイの発掘は18世紀頃から本格的に始まり、多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっています。火砕流の火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められたのです。「秘儀の間」の当時の宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合いは「ポンペイ・レッド」と呼ばれています。同じくポンペイの「貝殻のヴィーナス」です。トルコ・カッパドキアの「聖テオドール聖堂壁画」です。いったん外に出て、岩窟の聖堂に入るんですよね。そこまで再現するかwちょっと分かり難い場所にあって、前回来た時は見逃していました。修道士たちは壁に、キリストの生涯を描きました。イタリア・パドヴァの「スクロヴェーニ礼拝堂」です。1305年に完成したジョットが描いた、西洋美術史上もっとも重要な作品である一連のフレスコ絵画で知られます。ジョットのフレスコ画は聖母マリアの生涯を描いています。ここは現実の結婚式会場としても使えます。政治家の後藤田正純と、女優の水野真紀さんが結婚式に使ったことで有名ですね。後藤田正純は徳島選出の議員でしたね、だからか。ミラノはサンタマリア・デッレ・グラッツィーエ修道院の「最後の晩餐」。言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作です。ここのすごいところは、修復前のボロボロの状態と、修復後の姿を比較できることです!まずは修復前バージョン。実験好きのレオナルドが、よせばいいのにテンペラで描いたために、湿気で早い時期から劣化は始まっていました。わずか20年後の記録に破損が報告されています。加えてナポレオンの軍隊がこの修道院を、厩として使用。さらに第二次大戦中、1943年の連合国による空襲で、無残な状態になりました。また18世紀以降、加筆が少なくとも6回は繰り返され、レオナルドのオリジナルは変形させられていました。色彩は暗くなり、人物の表情も変えられてしまったそうです。次は修復後のバージョンです。1979年から1999年まで、フランコ=ルソーリなどのレオナルド研究家の指導の元、一貫して女性修復家ビニン・ブランビッラ氏が修復を行いました。5㎜から1㎝のミクロの世界で、修復作業はおこなわれました。塵や汚れ、描き加えの筆を取り除くという、入念で科学的な修復作業でした。レオナルドの傑作がここに復活しました!モネの池と、オランジュリー美術館の「大睡蓮」です。屋外の陽光の下、再現されています。モネの屋外大睡蓮を横目に、「カフェ・ド・ジヴェルニー」で食事も出来ます。ジヴェルニーってモネの家があるところやね。なんとこれは「ルノワールの幸せパフェ」というらしい!800円か。安くないし、ブログ主には糖尿の傾向があり、やめておいた方がいいんですが、名前に釣られてしまったwで、「どの辺がルノワールなんだ?」と店員の娘さんに聞いてみたら、「色彩が鮮やかだから」とのことだったwこれは「カフェ・ヴィンセント」。名前で分かるように、ゴッホのアルルの部屋がカフェの中に再現されている。そこまでやるか!面白すぎでしょう!ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 11Nov
    • 兵庫 明石ふらりとひと巡り【明石海峡大橋ブリッジワールド】

      関西旅行初日の午後は、明石海峡大橋を見学します。今回は「明石海峡ブリッジワールド」という観光ツアーを利用しました。明石海峡ブリッジワールドは、明石海峡大橋の内部に入って、普段目にすることがない場所を歩いて通って、海面上300mの高さがある主塔の最上部から、360度に広がるパノラマを堪能出来る驚異のツアーです。まずは「橋の科学館」というところで受付をします。ネットやファックスで事前予約が出来ます。大人3000円です。午後の部の13:30〜16:10の部に参加することにしました。(本当は始発で東京をたって午前の部の9:30〜12:10に参加するつもりだったんですが、起きられず!急きょ、午後の部に変更してもらったのです)ここで受付の後、控え室で見学の注意事項を受けます。誓約書も書かされたよwヘルメット着用、カメラやスマホに首掛けストラップない人は強制レンタル着用です。安全面にはかなり気を遣ってるようです。ガイドの方の説明は無線でイヤホンから聞きます。これなら隊列から少々遅れても、説明を聞くことが出来ますね。注意事項も確認し、いざ出陣です!まずは「橋の科学館」で、ビデオを見たり、展示を見ながら「明石海峡大橋」について学んでから、現場へと移動します。明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3911m、中央支間長1991mの世界最大の吊橋です。明石海峡大橋は、1988年5月に現地工事に着手し、およそ10年の歳月をかけて1998年4月に完成しました。大阪湾と瀬戸内海を繋ぐ明石海峡は、海峡の幅が約4kmと狭いですが、過去泳いで渡った者はいないそうです。30キロ以上あるドーバー海峡はしょっちゅう泳ぐ奴が出るのに。ドーバー海峡と比べてこの狭さですよ。つまりそれ程、海流の流れが速いのです。海峡を流れる潮流の速さは最大で時速16キロぐらいらしい。また明石海峡は1日に1000隻以上の船舶が航行する、海上交通の要衝となっています。明石海峡大橋は、こうした厳しい自然条件や社会条件の中で建設されました。そのため何より強靭な構造が求められ、秒速80mの強風や、大地震にも耐えうるように設計されています。事実、工事中の1995年に阪神淡路大震災が発生したが、影響はわずかであったそうです。ちなみに秒速80mの風って、新幹線ののぞみから顔を出した時にかかる風圧だって!「橋の科学館」の巨大な模型です。何といっても高さ300メートルもの主塔を支える「主塔基礎」の工事が大事業だったそうです。大型グラブ船で水深60mも海底を掘削し、最大約12万トンの鉛直力に耐えうる基礎を建設する必要がありました。大型グラブ船での掘削中!主塔基礎はめ込みは、徹底的なシュミレーションを行い、「絶対100%大丈夫な確信」をつかんでから、一発勝負で行ったそうです。これだけの大事業をわずか2日で一気にやってしまったとか!甲子園のスタンドにはまるぐらいの大きさなんだって!すごすぎるよ!さあ、いよいよ橋の内部に潜入していきます。この後、1時間半ほどはトイレがないので、必ず「橋の科学館」内でトイレを済ませておかないといけません。橋を両端から支える「アンカレイジ」というコンクリートの重しも、凄く巨大です。重量は35万トンだって。想像もつかない重さです。まずアンカレイジ内のエレベーターに乗って、大橋へと移動して行きます。オラ、ワクワクしてきたぞw海!見えます!幅広管理路に降りる階段です。幅広管理路です。淡路島方面に向かって「主塔」まで、海面上約50mの所を約1km歩いていきます。海や航行する船を上から見下ろすことが出来ますが、ちょっと怖い。管理路の両端に、黄色い線がありますが、その線から外に出るなとのことでした。確かに管理路の端は、やや空間があって危険なんですよね。下の画像よく見るとわかる。大人なら落ちないぐらいのスペースですけど、小さい子だと落下の可能性がありますね。このツアーの参加条件は「中学生以上」だったんですが、そういう理由か。管理整備用の車かな。でもすご〜くゆっくり走行していますので怖くないです。黒いパイプは水道管らしいですね。さあ、いよいよ主塔下に到着。これからエレベーターに乗って塔頂を目指します。エレベーターは17階から98階(海上約300m)まで約2分で到着です。15人くらいの班に分かれて順番に登っていきます。ウィィィィィィィィン・・・そして・・・・ついに来ました!98階の主塔のてっぺん!ものすごい絶景!!天気が良い日には、あべのハルカスや、神戸空港、関西空港、小豆島まで見えるそうですが。船の行き来はすごいね。約20分くらい上に滞在します。班ごとに記念撮影し、後で登頂認定証とともにもらえます。(この写真はHPから拾ってきたもので、その時の記念撮影ではないです)夢のような一時は終わり、下界へと。ウィィィィィィィィン・・・明石海峡大橋は、今後なんと200年以上の長期稼働を目指して、点検など万全な管理を行っています。これはケーブルの「送気乾燥システム」です。これは、吊橋の生命線であるメインケーブルが錆びるのを防ぐため、ケーブル内部に乾燥した空気を強制的に送り込み、ケーブル内の湿度を適切な数値に保つものらしいです。湿度40%くらいが最適らしいっすね。すごく画期的なシステムらしいです。この工事は10年がかり、5000億円もの費用が投入されました。一番素晴らしいのは、工事関係者延べ210万人らしいですが、何と死傷者ゼロとのことです。これぞ日本の技術力ですね!帰路へと。充実したツアーでした!土産物屋を覗いたら、淡路島の特産品が並んでました。淡路島は「花とミルクとオレンジの島」と呼ばれてますね。今度は高速舞子バス停から高速バスで、その明石海峡大橋を渡り、高速鳴門に向かいます。神戸淡路鳴門高速自動車道を突っ走って、淡路島を完全スルーしていきます。本当は淡路の震災遺構とか見学したかったんですけどね。旅の日程が詰まってたのと、淡路島内の交通の便があまり良くないってことで、今回はスルーという決断をしました。今夜は明石海峡を越えて、鳴門泊です。高速鳴門バス停に着きました。これは「すろっぴー」か?高架から市街地に降りるための無料モノレールらしい。これ太川陽介と蛭子の「ローカル路線バスの旅」で見たよ、確か伊藤麻衣子がゲストの回だったw まさかこれに乗ることになるとは。今夜は鳴門泊で、2日目は「大塚国際美術館」を攻めていきたいと思います。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 10Nov
    • 兵庫 明石ふらりとひと巡り【明石天文科学館〜明石海峡大橋】

      2018年8月31日〜9月2日の関西旅行記です。まず初日は、兵庫県の明石市にやってきました。新幹線の西明石駅からJR在来線に乗り換え、明石市立天文科学館を目指します。JRの明石駅から山陽電鉄に乗り換えて、そこから一駅の人丸前駅に到着しました。明石(山陽明石)から人丸前までは、わずか一駅だから本来なら余裕で歩けるんだけど、寝坊して急ぎ足の観光になっちゃいました。本当は明石城とかもまわってみたかったんですけどね。明石市といえば、東経135度、日本標準時子午線が通る街として有名ですね。この人丸前駅も、ホームに何と日本標準時子午線が通ってるんです。お約束でまたいでみたよwさて人丸前駅から4分くらいで、明石市立天文科学館に到着しました。何というグッドタイミング!正午、南中の時刻にちょうど到着!鐘が鳴ってましたよ。この高塔は54メートルあります。JSTMとはJapan standard time meridian (日本標準時子午線)の略です。1884年国際子午線会議が行われ、ロンドンのグリニッジ天文台を「本初子午線」としました。その2年後、「本初子午線」からちょうどプラス9時間の、東経135度を通る地点を「日本標準時子午線」とすることが決定しました。昔から太陽が真南にある南中時刻が正午とされます。しかし例えば明石が正午の時に、東京は午前11時40分、長崎は12時20分と、ズレがでてしまいます。これを地方時といい、昔はそれでも良かったのですが、明治維新以降、鉄道などの交通機関の発達とともに、国内の時間を統一する必要がでてきました。そこで、共通の時刻を決める標準時子午線をつくることにしたのです。ここにも当然ある日本標準時子午線。当然またぐw明石市立天文科学館の入場料は大人700円です。日本標準時は1888年1月1日から採用されました。明石市立天文科学館は1962年に、東経135度の真上に建てられました。13階と14階は展望フロアになってます。明石海峡大橋が一望できる!これは凄い。ここにも標準時子午線あった。人がいるので、またぎませんw3階が展示フロアになっています。「子午線の町・明石の歴史」「時のギャラリー」「天文のギャラリー」など、さまざまです。子どもでも楽しめるように、展示にくふうがなされてましたね。天文が好きな子はたまらないと思います。明石の町に、標準時子午線のピンクの光線が走ってますね。下の観測機が「子午儀」で、経度や時刻を観測するために使われました。明石天文台の親時計で、館内のすべての時間をこれで動かしています。時計の歴史、いま昔。現在では時刻は「原子時計」を使用して決めています。天文コーナーも充実していました。2階はプラネタリウムで、かなり評判いいらしいですね。見てみたかったけど、時間が無くてスルーしました。でも私はプラネタリウム見てると気持ち良くなって、寝落ちしちゃうんだよなwもっとじっくりみたかった天文科学館でしたが、わずか1時間の滞在で離脱します。天文科学館の裏に、柿本神社(人丸神社)がありました。万葉歌人の柿本人麻呂を祀る神社らしい。なるほど人麻呂がなまって人丸になったんだな。街の至る所で、東経135度。郵便局も子午線郵便局だって!郵便局の中までは入らなかったんですが、中まで子午線があるみたいです!(画像はどっかで拾った)山陽電鉄を利用して、舞子公園駅に移動します。これから世界最大の吊り橋の「明石海峡大橋」を観光します。舞子公園内を移動していきます。しかし巨大過ぎる橋です!下から見上げると凄いわ!すごすぎるよ。明石海峡大橋については、次回記事で潜入レポをしたいと思います。舞子公園内に「孫文記念館」がありました。明石海峡大橋の見学前に、ちらっと散策してみようと思います。正式には「移情閣」というらしい。ちなみに孫文とは、中国の革命指導者で、辛亥革命を起こし、清朝打倒に尽力した人です。かなり世渡りの上手い人物という印象です。しかし軍事力に勝る袁世凱には勝てず、あっさり権力者の座を奪われてしまった。この記念館もなかなか味のある洋館ですね。でも別に孫文が住んでた建物というわけでもないようです。孫文が来日した時に、歓迎昼食会を開いた建物らしいですね。とりあえず外観だけ一回りしてさようならw次回いよいよ明石海峡大橋内部の潜入レポです。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 09Nov
    • 1975年ロック&ポップス【マイベスト10】

      さて今回の記事は、音楽に関する記事です。音楽ネタも、たまに書いていきます。と言っても、昨今のミュージシャンには疎いので、昔のロックやポップスに関する能書きや情報を記事にしていきます。ここ一年くらい、発売年ごとに音楽を聞く、というスタイルを発明しました。具体的にはiTunes で例えば1979年発表の曲のプレイリストを作り、ひたすら聞きます。というのも、私は色々なミュージシャンのアルバムをiTunes に入れているんですが、結局いつも好きなアルバムしか聞かないんですね。色々持っててもあんまり聞いてない。素晴らしい曲がもっといっぱいあるはずなのに。で、素晴らしい曲と無理矢理にでも出会うために、マイルールを定めました。①1975年から1985年の音楽を年ごとにプレイリストを作成して聞いていく。(それが終わったら今度は1965年から1974年を聞く)②洋楽邦楽問わず聞いていく。演歌だって聞く。③1曲につき10回聞く。この③の10回聞くという縛りがキツイですね!苦行ですよ。でもね、音楽は1回聞いただけじゃあ良さはわからない。何度も聞いて、ふと凄い曲だと気づく場合が多いのです。ボブ・ディランだって、今は神だとわかりましたけど、最初はお経のように思えたんですよ。だいたい1年分で500〜700曲になるので、1年分聞き終えるのに3ヶ月はかかりますね。まさに苦行ですよ。ロック千日回峰だね。でも昔は金が無くて、レコードを1枚買うのに、ものすごい苦労していたんですよね。2枚組アルバムとか清水の舞台から飛び降りる覚悟じゃないと買えなかったし。そう考えれば、今はなんでも手に入りやすくて、ありがたい世の中になりましたよ。当時はレンタルも「友&愛」が出現し始めたぐらいの時代でした。品揃えもいいとは言えなかった。ラジオで必死にエアチェックするぐらいしか新譜を手にする方法が無かった。FMレコパルやFMステーション買ってwだから名前だけは知ってて、ようやく大人になって、初めて入手出来たアルバムがいっぱいあるんですね。と言ってもほとんどレンタルだけど。渋谷のTSUTAYAとか、神保町のジャニスとか、GEOの「ぽすれん」とかでセコセコと集めてます。ちなみに私の場合、CDは基本レンタル。だってリッピングして終わりですからね。所有欲はもはや無いし、置き場も無い。そもそも金ももったいない。レンタルで十分ですよ。ただいろいろなアルバムを集めたのはいいが、それだけで満足しちゃって、ちゃんと聞いてこなかったので、こういうマイルールで、ロック史を改めて追体験していこうと考えました。今のところ、1年がかりで1975年から1978年まで終わりました。今回の記事は第1回として1975年のマイベストソングを、10曲紹介していきます。順位はつけません。She's The One Bruce Springsteen 明日なき暴走 3,000円 Amazon Lyin' Eyes The Eagles One of These Nights by EAGLES (1990-05-03) Amazon For No One Emmylou Harris「フォー・ノー・ワン」はビートルズのカバー曲ですが、オリジナルではポールは淡々と歌っているので、なかなかこの曲の良さに気がつきませんでした。エミルー・ハリスやリッキー・リーのカバーで、やっとこの曲の美しさにハマった感じですね。 緑の天使 Amazon Wheels  Emmylou Harrisエミルー・ハリスはディランの「欲望」、ザ・バンドとの「イバンジェリン」とか、男性との共演でより輝くシンガーですね。 エリート・ホテル+2 1,234円 Amazon Sugar Daddy Fleetwood Macフリートウッドマックだと、クリスティン・マクビーの曲なら何でも好きです。 ファンタスティック・マック 2018リマスター・エディション 1,689円 Amazon Never Dreamed You'd Leave in Summer Joan Baezジョーン・バエズはカバーがいいんですね。バエズが歌えばなんでも美しくなる。 Diamonds & Rust 2,660円 Amazon ちなみにこの曲はスティービー・ワンダーのカバーで、「夏に消えた恋」という邦題の通り、失恋を歌っています。でも、スティービーは2009年マイケル・ジャクソンの追悼式で、マイケルに捧げて歌ったんですね。夏に君は逝ってしまった、と・・・。アフリカへ行きたい 荒井由実荒井由実時代に出した4枚のアルバムはみんな傑作だと思います。 COBALT HOUR 2,314円 Amazon 論寒牛男 大滝詠一 NIAGARA MOON -40th Anniversary Edition- 2,045円 Amazon 時の過ぎ行くままに沢田研二 ジュリーも最近はドタキャン騒動とかで、晩節を汚しまくりだけれど、いい加減にして欲しいですね。阿久悠さんが亡くなった年の紅白で、ジュリーのこの歌と、八代亜紀の「舟歌」を聞かせて欲しかった。 ロイヤル・ストレート・フラッシュ 1,798円 Amazon DOWN TOWN シュガー・ベイブシュガーベイブは「70年代の日本のポップスが侮れない」ということを最初に気づかせてくれたグループです。「ひょうきん族」のテーマで有名なこの曲を選びましたが、アルバム「SONGS」は粒ぞろいですよね。ター坊(大貫妙子)の曲もいいし。 SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition- 2,680円 Amazon ちなみに範囲を1965年から1985年としたのは、「大衆文化の旬は、発祥から30年目まで」と思っているからです。まあ私の漠然とした妄想なんですけど。でも映画だって、1910年代から商業用大作が作られて、本当にすごいのは1930年代までじゃないか、という気がしているんです。グリフィスがいて、チャプリンがいて、そして1939年の「風と共に去りぬ」や「駅馬車」で頂点を極める・・・、ような印象があります。ロック&ポップスだって、1950年代にエルビスやバディ・ホリー、リトル・リチャードから始まって、1985年の「We are the world」で区切りがつく、というイメージなんですよね。だからビートルズやディランの全盛時からの1965~1985という時期は、ロック&ポップスの一番の旬の時期という気がするんです。当時はまだ大衆音楽が、今のように細分化されていなかった。暮れの「紅白歌合戦」で流れる歌の20数曲ほとんどが、子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、みんなが知ってるナショナルソングでした。洋楽だってもっと身近で、ビルボード全米チャートの半分くらいは知ってる曲だった。「ベストヒットUSA」とかかじりついて観ていたし、音楽の趣味の良さがステータスだった。それがなぜか1985年以降、(特に洋楽で)停滞していってしまうミュージシャンが増えたのです。永遠にヒットし続けるかと思われたビリー・ジョエルもホール&オーツも、なぜかおとなしくなってしまった。(これを「We are the worldの呪い」という、と誰かのラジオで聞いたことがあります)ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 08Nov
    • 【終戦内閣総理大臣】鈴木貫太郎記念館 歴史巡り

      2018年8月15日、平成最後の終戦の日ということで、終戦時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎記念館を見学に行きました。鈴木貫太郎は、ブログ主がもっとも尊敬する人物の一人ですが、記念館が家から遠く、交通的に不便で、今まで行けずじまいでした。今回意を決して、訪問してみました!記念館がある場所は、千葉県野田市の関宿という街です。東武伊勢崎線の東武動物公園駅で下車。その後、朝日バスという路線バスに乗ります。「境車庫行き」に乗って、「関宿台町」バス停下車すぐです。20〜30分近く乗ってた気がする。この土地が鈴木貫太郎を育み、そして終焉の地となった関宿です。早速、記念館に入ってみたいと思います。自筆の「萬世の為に太平を開く」は、もちろん昭和天皇の終戦の詔勅からとられています。さっそく見学に行きたいと思います。ちなみに入場は無料です。鈴木貫太郎は1867年生まれ。(ちなみに江戸時代生まれの最後の総理大臣です)関宿藩士の子として生まれましたが、生誕地は関宿藩の飛び地の大阪の堺でした。でも生まれてすぐ関宿に戻ります。1884年貫太郎は、海軍兵学校に入学し、以後帝国海軍軍人としての道を歩んで行きます。海軍時代は「鬼貫太郎」と言われるくらいの、猛訓練で知られました。1894年の日清戦争では水雷艇を率いて、敵艦目前まで突っ込んでいき、敵艦と刺し違えるような戦いを、何度も何度もしています。日露戦争の最後の決戦である日本海海戦でも、駆逐隊司令として活躍しました。その後、海軍大将(1923)、連合艦隊司令長官(1924)、海軍軍令部長(1925)と、海軍の重要ポストを務めていきます。海軍大将の大礼服ですね。大礼服用の帽子です。1929年侍従長に任命されます。ここで後に「聖断」「終戦」を成し遂げる昭和天皇との信頼関係が生まれます。同じ頃、陸軍の阿南惟幾(あなみこれちか)も侍従武官として宮廷にあり、のちの大舞台の人脈が形成されていきます。昭和天皇の貫太郎への信頼が厚くなっていた理由としては、貫太郎の妻タカが幼き日の昭和天皇の養育係を務めていたことも関係していると思われます。しかし1936年衝撃の事件が、雪の東京で発生します。二・二六クーデター。安藤少尉率いる陸軍青年将校らが、鈴木邸を襲い、貫太郎も四発の銃弾を眉間、心臓付近に受けます。ここで妻タカのナイスプレーが出ます。とどめを刺そうとする将校たちを押しとどめたのです。タカとしてはまだ息のあるうちに、せめて別れの言葉を交わしたい、という気持ちだったのですが、銃弾は奇跡的に急所をそれており、一時は心肺停止になりながらも、貫太郎は蘇生します。一方、貫太郎ら重臣の遭難を知った昭和天皇の怒りは凄まじく、クーデーター派を終始一貫「賊軍」と呼び、断固鎮圧を命じました。陸軍上層部が一時クーデター派になびき始めると、さらに激昂。「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接近衛師団を率いて反乱部隊の鎮圧に当たる」と、強烈な言葉で意志を表明しました。信頼する貫太郎たちを襲われたことが許せなかったのでしょう。やがて1941年、対米英戦(大東亜戦争)が開戦。この頃の貫太郎は最早70歳を超え、相談役のような地位にいました。この頃の貫太郎で、好きなエピソードがあります。山本五十六連合艦隊司令長官の戦死は、当初秘密にされていたのですが、嶋田繁太郎海軍大臣がポロッと洩らしてしまいます。驚いた貫太郎は「山本くんは死んだのか?それはいつの事だ?」と問うと、嶋田は「海軍内部の事なので申し上げられません」と逃げようとしました。それを聞いた貫太郎は、日頃の穏和さをかなぐり捨て、烈火の如く怒ったといいます。「俺は帝国の海軍大将である。大切な武人を失ったというのに、その答弁は何であるか!」戦局は日に日に悪化し、遂にサイパンも陥落。東条内閣は総辞職します。本土空襲も始まり、1945年3月10日の東京大空襲で首都は壊滅しました。何としても、これ以上犠牲を増やさず、和平の道を開きたい。そう願った昭和天皇が、次期総理に白羽の矢を立てたのは、77歳の鈴木貫太郎でした。勿論貫太郎は固辞します。「自分は武人であって、政治家としては素人だから何卒お許しください」と。昭和天皇は貫太郎に言いました。「おまえの言いたい事もおまえの気持ちもよくわかる。だが、戦争の激化しているこの重大な局面において、もう他に人はいないのだ。鈴木よ、だから、どうか、頼むから、引き受けてくれ」天皇に「頼む」と言われた者など未だかつていない。そこまで言われたら断れない。貫太郎は「軍人は政治に関わらない」という自らの主張を捨て、大命を受けることになります。貫太郎が組閣して間もなくの4月12日、アメリカのフランクリン=ルーズベルト大統領が病死します。ドイツ政府は「最大の戦争犯罪人が地上から消えた!」など罵声を浴びせます。まあそれが当然でしょう、戦争中なんだから。ところが貫太郎は弔意をあらわすんですね。「米国側が今日、優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力によるものである。であるから私は、大統領の死が米国民にとって非常な損失であることが理解出来る。ここに私は深い哀悼の意を米国民に表明する次第である」民間人を焼夷弾で攻撃するような連中に対しても、武士道精神で接する。精神性では道義的に勝ってる。アメリカに亡命中だった作家のトーマス・マンに感銘を与え、翌日の米紙をも驚愕させた、このエピソードも私は大変好きです。さて総理となった貫太郎は、意外にも老獪な狸ぶりを発揮します。軍部に対しては「徹底抗戦」を同調しつつ、都合が悪くなると耳が遠いフリをしてとぼける。(実際に耳はかなり遠かったそうですが)そのうち大詰めを迎えます。6月に沖縄が陥落。7月ポツダム宣言が出され、意見が様々に分かれます。「本土決戦で一撃を与えてからの方が、より優位な条件に持っていけるのでは?」とか「ソ連の仲介はまだ期待できるのではないか?」とか「いや、ソ連は信用できない。沖縄で充分日本の屈強さは見せつけることができた。むしろ敵がアメリカだけのうちにケリをつけた方がいい」とか。貫太郎の本音は一番最後の意見だったのでしょうね。8月に入り、広島が核攻撃を受けます。戦争終結のための御前会議が開かれますが、果たして国体護持が本当に出来るかどうかで、完全に意見が分かれ、煮詰まってしまいます。そこで、貫太郎が禁じ手を使います。天皇に対して「聖断」を求めたのでした。ふつう御前会議といえど、この種の会議で天皇が自分の意見を言うことは無い。でも戦争終結のための、最後の手段でした。昭和天皇は言います。「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である」この瞬間にポツダム宣言受諾の方向性が決定づけられました。最後の御前会議の様子です。その後まだごちゃごちゃ続きますが、8月14日から15日に、阿南陸軍大臣の自決、青年将校クーデターの失敗、玉音放送と決定的瞬間を迎えます。戦争は終わった。そして1945年8月17日、全てにケリをつけて、鈴木貫太郎内閣総辞職。浜口雄幸じゃ無いけれど、男子の本懐とはまさにこのことではないでしょうか。戦後の貫太郎は、故郷の関宿に戻り、農業に従事します。関宿に酪農を根付かせるための活動をして、余生を過ごすことになります。関宿時代の貫太郎。そして1948年4月、80歳で永眠します。最期の言葉は「永遠の平和」でした。遺灰の中からは、二二六事件のときに受けた弾丸が出てきたそうです。終戦前後の状況を描き、映画化もされた「日本のいちばん長い日」の着想となったのが、この本です。 日本のいちばん長い夏 (文春新書) 756円 Amazon この本は、1963年に行われた座談会を、半藤一利氏がまとめたものです。終戦当時の関係者が存命の時期ですから、生々しい意見や情報がわかります。参加者もすごい。33歳の半藤氏が司会となり、迫水久常内閣書記官長(現在の官房長官)、松本俊一外務次官、佐藤尚武駐ソ大使、今村均陸軍大将、大岡昇平、会田雄次、池部良、果ては吉田茂元総理大臣とすごすぎるメンバーで、第1級の資料と言ってもいいんじゃないでしょうか。私は半藤一利の歴史観には全く賛同できませんが、これは面白かった。そしてもう1冊は「ゴー宣」ですw小林よしのり氏もコロコロ立場が変わって忙しい人ですが、これは一番好きですね。終戦前後の経緯は感動的でした。 ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論 1,280円 Amazon ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 07Nov
    • 西洋美術 初心者向けおすすめ本【わかりやすい!楽しい!】

      時々美術館巡りの記事など書いてますが、私はもともと美術は年に一度くらい気まぐれで見に行くくらいの関心しかありませんでした。今でもそんな熱心と言えるほどではなく、知識もロクにありませんが、それでも以前に比べれば、美術に興味が出てきています。私が興味を持つきっかけになった、楽しく読める「初心者向け」美術本を紹介します。①「イラストで読む印象派の画家たち」杉全美帆子さん イラストで読む 印象派の画家たち 1,782円 Amazon 杉全美帆子(すぎまたみほこ)さんという、フィレンツェに留学経験もある方の、イラスト満載の楽しい印象派入門書です。画家のキャラがよくわかって、まず親しみが持てます。もともとグラフィックデザイナーの方だから、イラストがうまいし、楽しい。名画に使われてる技法や、画風の変遷なども図解してくれるからわかりやすい。杉全さんの本はシリーズ化されていて、そのうち「ルネサンス編」も持ってますが、これもおすすめです。 イラストで読む ルネサンスの巨匠たち 1,728円 Amazon ②「知識ゼロからの西洋絵画史入門」山田五郎さん 知識ゼロからの西洋絵画史入門 1,404円 Amazon 山田五郎さんはBS日テレでやってる「ぶらぶら美術館・博物館」が好きで、毎週見ていました。その博識ぶりには毎回感嘆することしきりでしたが、本を読んでも面白かった。「○○派」とかよくわからないもんですが、よく整理されていてわかりやすかったです。「無理やり美女にたとえると」とか、画風を無理やり擬人化する発想とか面白いよねえ。時代風景も説明してくれるから、つながりがわかります。③「乙女の絵画案内」和田彩花さん(あやちょ)アンジュルム(元スマイレージ)というアイドルグループの、リーダー・和田彩花さんは熱狂的な美術好きで有名です。学芸員の資格を目指して、大学院にも進学されるとか。マネと印象派の画家たちとの関係をモーニング娘(プラチナ期)と、それに憧れる自分になぞらえたりして、やっぱり感性が鋭く、面白い。あやちょ自身の写真もあって、ミニ写真集としても楽しめます。あやちょは動画が面白いんですよねえ。美術の話をしだすと歯止めがきかなくなる。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 06Nov
    • 北海道 道東湖巡り【摩周湖 屈斜路湖 阿寒湖】

      北海道旅行の最終日です。阿寒バス運営の定期観光バスツアー「ピリカ号」を利用しました。摩周湖から硫黄山、屈斜路湖から最後は阿寒湖と行く湖巡りのバス旅です。最後は私は釧路駅まで行かず、タンチョウ釧路空港で降ろしてもらって、そのまま空路、東京へ帰還します。釧路駅前バスターミナルから出発ですが、さすが釧路は肌寒い。14度ってマジかよ。ここから東京に帰ったら、一気にサウナ地獄が待ってるんでしょうねwまずは「霧の摩周湖」の歌でも有名な摩周湖を目指します。摩周湖はカルデラ湖です。頻繁に霧が発生することで知られます。透明度は40メートルを超え、極東ロシアのバイカル湖を超え、世界一だったこともあるそうです。少し曇っているかなと思いましたが、バッチリ湖面は見えてます。これでも摩周湖としては凄く見える方で、ラッキーだったそうです。天候はかなりきまぐれみたいで、この後すぐ霧に包まれちゃいました。摩周湖の土産物屋では「夕張メロン」。1カットで100円は安いなあ!みずみずしくてめちゃくちゃ美味いっすよ。帯広でタクシーの運ちゃんに「絶対おすすめだから食ってみろ!」と強烈に勧められたのが、とうきび。朝とって、農家で茹でて、そのまま密封したものがコンビニなどでも売ってるらしいですね。甘くて柔らかくって、これも美味い!(バスの中で食べました)摩周湖見に来たはずが、いきなり食いに走ってしまいましたが、引き続いて「硫黄山」へと向かいます。硫黄山の高さは500メートルくらいですが、その名の通り、噴煙と硫黄臭が凄い。岩の色が違うね。黄色くなってます。火山のあるところに温泉あり。この近辺の川湯温泉は、昭和の名横綱、大鵬の出身地らしいですね。お土産も売ってました。大鵬せんべいですか。買わなかったけど。この近くには「川湯大鵬記念館」もあるそうです。写真は撮れなかったけど。硫黄山の土産物屋でも食いに走りましたw「とれたて牛乳」はよく振ってから飲まないとダメらしい。確かに濃厚な味ですね。そして名物「温泉玉子」もつい食べてしまいました。ガムテープ巻き付けると殻が剥きやすいらしいんですよ。美味しかったです。次に向かったのは「屈斜路湖」です。この屈斜路湖湖畔は面白いところで、砂浜から砂湯といって温泉が湧き出てるんです!確かに湖の水は冷たいが、砂湯は生温かいわな。昭和人なら知ってると思いますが、屈斜路湖と言えば、なんと言っても1973年におきたクッシー騒動ですね。屈斜路湖で、正体不明の首長竜が目撃された!という噂が噂を呼び、大騒動となったのです。未だに騒動の残骸や、便乗商品も存在するみたいで、ただただ懐かしい。。元はスコットランドのネス湖における「ネッシー騒動」の真似だったんでしょうけど。それにしても、昭和の頃ってみんなウブだったというか、デマに簡単に引っかかってましたよね。「口裂け女騒動」で集団下校したり、五島勉なんてやつのこじ付け作り話(ノストラダムスの大予言)に怯えてみたり。屈斜路湖には「飲める温泉」コーナーもありました。飲んでみて、甘く感じたら疲れているし、しょっぱく感じたら疲れていないそうです。やや甘かったかしらwさいごに「阿寒湖」にやって来ました!まずは阿寒湖の雄大な風景を楽しみたいと思います。とりあえず昼ごはんです。ワカサギ丼食います。さて阿寒湖と言えば「まりも」と即答する程有名ですね。まりもは20万個もいるそうですよ。藻のからまった集合体で、丸まってマリに似ているからマリモなんだって。他でも見れるが大きさ形など阿寒のマリモが最高なんだそうです。阿寒湖の町には、あらゆる便乗商品がありました!どの町の人も頑張ってますよね。環境省の「エコミュージアムセンター」で、阿寒湖の自然を色々学習してきました。本物のマリモとついに対面!!その他、北の生き物たちの剥製に会えました。シマフクロウ。ヒグマ。エゾシカ。ヒメマス。イトウ?イトウって確か「釣りキチ三平」で三平と坊主おじさんが死闘を繰り広げた魚か!次に「アイヌコタン」通りを散策しました。北日本の先住民であるアイヌも、ほぼ和人と混血同化していますが、この地域はアイヌの血と文化を受け継ぐ人々が多いのだとか。木彫りの熊などの民芸店が立ち並びます。アイヌの暮らしを色々と見ることができました。アイヌが漁をした丸木舟のようですね。アイヌシアターではアイヌ古式舞踊を見学することができる模様です。こういうやつ。(観なかったけど)最後にビジターセンターで「まりもの妖精」の萌えキャラに会えました。阿寒湖を離れて、一路「タンチョウ釧路空港」へ!車窓から、あくまで北海道らしい絵を追い求めますw お散歩中の牛さんたち。ロールベールサイレージの山ですね〜「タンチョウ釧路空港」に到着しました〜。空港前では北の生き物たちのお出迎えです。飛行機の時間まで2時間くらいありました。カフェでボ〜ッとして搭乗。長かった北海道の旅も終わりです。美しい北の大地の夕焼けです。東京上空、戻ってまいりました!無事生きて戻ってこれました!ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 05Nov
    • 北海道 釧路巡り【幣舞橋 釧路湿原】

      北海道旅行7日め続編です。帯広の早朝観光を終え、釧路へと向かいます。「特急スーパーおおぞら」で出発し、帯広ともあっさりお別れ。最終宿泊地は釧路市です。2時間弱で到着しました。実は釧路にも20年以上前に一度来ているはずだけど、何にも覚えてないわ!もっともその時は東京から釧路までフェリー便があって、なんと1日半くらいかけて船で来たんでした。あのフェリー便は船の内装も綺麗で良かった記憶があるんですけど。廃止になって残念ですね。駅構内の古本屋!なんか記憶にあります。謎の人形が店番してるwまずは駅前をぶらぶら。「和商市場」を発見しました!ここで新鮮な海のものをいただきます。どれも美味そう!名物「勝手丼」にチャレンジしてみました。まずはご飯売り場で、ご飯だけ買います。その後に自分の好きなものを店員さんに言って入れてもらいます。いくら、ウニ、中トロ、甘エビ、蟹などなど。完全に食欲を抑えられなくなって、2200円くらい食ってしまったw でも美味かった!さて次は釧路のメインストリートの「北大通り」を通ります。真っ直ぐの直線を行くと「幣舞橋(ぬさまいばし)」が見えて来ました!この橋は、釧路駅から歩いて15分ほどのところにある観光スポットの一つです。釧路川です。橋のシンボルとなっているのが、橋脚の上に立つ四体の彫刻「四季の像」です。まず舟越保武作「春の像」です。この姿で、若葉を萌えいずる雪解けを表しています。今度は佐藤忠良作の「夏の像」です。躍動感と瑞々しさが感じられます。厳しい表情の「秋の像」の作者は、柳原義達です。最後はおなじみ、札幌出身の本郷新が作った「冬の像」。冬の寒さをしのぐ姿が表されます。橋の南側にあるロータリー交差点から、出世坂を上ると「幣舞公園」があります。ちょうど花時計の真上あたりから、幣舞橋を見下ろすことができます。幕末の探検家で、北海道及び釧路の名付け親の松浦武四郎&アイヌ像がありました。夕刻や夜景が綺麗らしいので、晩飯の頃にまた来たいと思います。さて釧路といえば、やはり「釧路湿原」しかない感じですね。ラムサール条約にも指定されている湿原で、丹頂鶴の生息地として知られています。もう行くしかない。20年以上前にも来てるはずなんだけど、まったく記憶にないから。夏はノロッコ号という機関車が客車を牽引する特別列車で巡れます。来ました。乗車証明ももらえました。釧路川を渡っていきます。車窓の風景もだんだんそれっぽくなっていきますね。とりあえず「釧路湿原駅」で下車しました。徒歩10分くらいで「細岡展望台」に到着します。広大な湿原が広がります。釧路川の蛇行もいい感じです。ビジターハウスでは釧路湿原グッズなども販売しています。ついポストカード買っちゃいました。ポストカード撮影。やっぱりプロの写真はクオリティが違うね。ポストカード撮影。線路はつづくよ、どこまでも〜。帰りも再びノロッコ号に乗って、市街地に戻ってきました。幣舞橋付近の川沿いは、見ものが多いですね。石川啄木が釧路新聞社に勤めていた時期があったらしいんですが、当時の釧路新聞社を復元した啄木記念館「港文館」を見学しました。1908年1月に啄木は幣舞橋を渡り、釧路にやってきました。さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき啄木の銅像が!なんとこれも本郷新氏です!北海道に行って、この人の作品から逃れることは出来ないんですねw 港文館は1階は喫茶店になっています。2階が展示フロアーです。啄木で一番好きな歌はこれですね。かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど「一握の砂」に載ってる片思いの歌です。啄木は作品はいいんだけど、人間性が酷かったらしいからね。あまり持ち上げずに早々に立ち去ります。フィッシャーマンズワーフ周辺を散策。そろそろ夕暮れから夜へ。幣舞橋は夕暮れと、ライトアップされた夜景の美しさでも知られます。しばらく夕食と散歩がてら、ウロチョロしました。そろそろいい感じになってきました。フィッシャーマンズワーフの中をウロチョロして、夕食をとりたいと思います。しばらくさまよった挙句、フードコートみたいなところでラーメン肉丼つきで腹ごしらえです。食事してる間に、だんだん暗くなって来ました。幣舞公園からはライトアップされた橋の全景が望めます。再び橋の周辺に戻ります。素晴らしく美しかった。7日めは釧路に宿泊。もう1日あるのじゃよ。最終8日めは、釧路駅前から湖巡りしてそのまま東京に帰還します。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 04Nov
    • 【期間限定】黒田清輝・特別室巡り【黒田記念館】

      ルーベンスに、フェルメールに、ムンクに、この秋はすごい作品展が目白押しです。で、実はフェルメール見に行ってきたんですが、それはまた別の機会に記事を書くつもりです。実はフェルメールと合わせて、もう一人偉大な画家の作品を鑑賞してきました。日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝の作品を展示する黒田記念館に行ってきました。黒田記念館では、黒田清輝の代表作である「読書」、「舞妓」、「智・感・情」、「湖畔」を鑑賞できる特別室を年3回、新年、春、秋に各2週間、公開しています。しかも無料で、撮影も可能!今現在、特別室展示は実施中で、2018年11月11日(日)まで開放されています。東京国立博物館の先に黒田記念館がありました。ここはトーハクの所管らしいですね。黒田清輝は1924年に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。これをうけて1928年に竣工したのが黒田記念館です。黒田記念館は、建築家・岡田信一郎により設計されました。岡田信一郎は旧日銀小樽支店を(辰野金吾らと)設計した建築家です。昭和初期における美術館建築として貴重なものであることから、近年改修が行われ、2002年には国の登録有形文化財となっています。さあ、いよいよ潜入していきます。2階が展示室になっています。いざ、特別室へ。おお〜、早くも無防備に「智・感・情」が見える!誰もが知ってるような有名作品が並びます。まずは「読書」(1891)。モデルのマリア・ビヨーは豚肉屋の娘で、黒田とは親密な関係にあったらしいです。黒田は制作にあたって鎧戸を閉め、そこから射し込む穏やかな光で彼女を描き出しました。この作品はフランスでの黒田の師匠のラファエル・コランに賞賛され、黒田のフランス画壇へのデビューを飾る作品になったそうです。「舞妓」(1893年)です。フランス留学から帰国後、最初に仕上げた作品だそうです。京都の舞妓「小ゑん」をモデルに描かれたそうです。「女性と水」の組み合わせは、黒田の得意のモチーフとなります。「智・感・情」(1899年)です。向かって右から「智」、「感」、「情」を表す3面からなる作品です。これが「智」です。日本人をモデルとしながら、プロポーションは西洋の身体表現を意識して理想化されていると言われています。これが「感」です。確かに現代人ならともかく、明治時代の日本人がこの体型というのは考えづらいですね。(明治時代の成人女性の平均身長は140㎝後半ぐらいだったそうです)これが「情」です。この作品は当時まだ珍しい裸体画として注目を集めました。1900年のパリ万博に出品し、銀賞を獲得しています。誰もが知ってる「湖畔」(1897年)ですね。照子夫人(当時はまだ未婚)と避暑のため、箱根を訪れた黒田は、夫人が団扇を片手に芦ノ湖畔にたたずむ姿を見て、制作を思い立ったと言います。ひと月ほどかけて箱根で完成させたそうな。日本の夏の湿潤な大気を見事に描き出しています。発表当初は「避暑」と云う題で発表されたそうです。いい作品だなあ。黒田清輝の胸像ですね。だいぶ爺さんになっての姿ですね。黒田清輝は、1866年に鹿児島市に生まれ、幼少時に上京、伯父黒田清綱の養嫡子となりました。17歳で、法律の勉学を目的にフランスに留学しましたが、二年後には絵画に転向し、フランス人画家ラファエル・コランに師事しました。九年間の留学中に、明るい外光をとりいれた印象派的な手法を学びました。1893年に帰国し、それまで日本では知られていなかった外光表現をもたらし、大きな影響を与えました。1896年には、美術団体白馬会を結成、またこの年に創設された東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)の西洋画科の指導者となりました。以後、黒田は、この白馬会と東京美術学校において、多くの新しい才能を育てるとともに、やがて美術界の中枢となりました。黒田清輝は、近代日本美術に大きな足跡を残した画家であったといえます。黒田記念室です。黒田記念館設立時に、黒田の画業を顕彰するための部屋として作られました。遺族から寄贈された作品を中心にコレクションが形成されます。黒田清輝のものと考えられるイーゼル、椅子、絵の具箱です。すべて無料で撮影可ですからねえ。ミュージアムショップもありました。ポストカードなど販売しています。記念館内にコーヒーショップがあります。名画堪能の後は、ここで一服するもよし。(入らなかったけど)ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 03Nov
    • 北海道  十勝平野・帯広巡り【ばんえい競馬 豚丼 池田ワイン】

      北海道旅行も6日めに突入です。苫小牧駅からJR線を使って、南千歳駅から石勝線に乗り換え、十勝平野の帯広に到着しました。帯広は十勝平野の中心都市です。有名な「幸福駅」の名を冠した観光情報センターのようですねえ。面白い。駅前広場には、謎のオブジェが。。まずは「ばんえい帯広競馬場」を見学してみました。開催は土日月だけで、競馬自体やってなかったけど、色々と潜入して見学してきました。帯広駅からは路線バス12番乗り場から10分くらいで行けます。「ばんえい競馬」とは、世界でも今や帯広でしか行われていないユニークな競馬のことです。(以前は旭川、岩見沢、北見でも開催していたそうです)そういえば旭川で見に行こうとしたことがあったなと今思い出しました。確かその時はものすごい豪雨で、行くことすら出来なかった。馬は「ばん馬」と呼ばれ、ずんぐりむっくりとしたいでたちで、かなり巨大。なんと、サラブレッドの2倍も体重があるそうです。騎手は直接馬に乗らず、橇に乗り、それをばん馬たちが引っ張って競走します。ばん馬は、元々は農耕馬として欧州から輸入された種でしたが、次第に農作業の合間に庶民の楽しみとして競走させるようになり、戦後ギャンブルとして確立しました。無人のスタンドには入れた。というより勝手に入った。スタート地点。ゴールまでは200メートルですが、途中2カ所の坂があります。橇がラインを越したらゴールになるらしい。サラブレッドの競馬とは違うんだねえ。ちょっと雨が強くなってきたので、この後傘を買いました。競馬が休みの日でも、お馬さんたちとの「ふれあい動物園」はオープンしてます。子馬ですね。小さい子たちは可愛いですね。大人の馬はさすがにでかいですね。子馬はいつもお母さんと一緒ですね。エサ用の人参も売ってました。買わなかったけど。「馬の資料館」では北海道の馬産などについて学ぶことができます。気になる人のサインが!いがらしゆみこさん。「キャンディキャンディ」の!!いがらしさんは小学校の頃は数年間帯広に住んでた縁があるみたいです。馬耕の様子です。仔馬がくっついてきているのが可愛い。装蹄の様子です。馬にとっての靴みたいなものですね。競馬場内で、帯広名物「豚丼」屋さんを発見!サクッと食ってみました。豚丼が帯広名物になったのは、昔の帯広開拓の指導者の人がウナギ好きで、ウナギが食いたくてたまらなくなり、ついに豚肉にタレをかけて食べることを思いついたことが発祥らしいんですね。店の人に聞いたんだけど。競馬はやってなくてもそれなりに楽しめるもんだ。この後は駅前に戻り、「十勝バス」さんのとかち定期観光バスツアーに参加します。午後コースで2500円でした。結構雨が強くなってきています。まずは柳月スイートピアガーデンというお菓子のお店にいきなり来ました。十勝産のスイーツがいっぱい買えるみたいですね。スイーツにはあんまり興味ないですけど。この「三方六」が代表的なお菓子らしいです。なるほどバウムクーヘンの周囲をチョコで包んで、白樺っぽさを表現したお菓子らしいですね。(ただでもらった小割をバスの中で食べました)濃厚ガーデンプリンは試食させてもらいましたが、確かに味はまろやかで、濃かった。十勝きなごろもソフトです。スイーツ興味ないとか言いながら結局食べちゃうという。次にガーデンスパ十勝川温泉というところに来ました。この巨石は「いで湯の磐座(いわくら)」というらしいです。十勝川温泉の守り神らしいです。時間もないので、足湯だけサクッと入りました。モール温泉ゆで卵を食べました。結局食べることくらいしかすることがないw次に十勝が丘展望台です。十勝平野を展望できます。十勝川がけっこう蛇行してますね。ようやく少し観光っぽくなってきました。十勝平野には池田町という町があって、ぶどう栽培からワイン造りが盛んな土地です。池田ワイン城というところを見学しました。高級なワインの販売をしています。ちょっと試飲させてもらいました。ぶどう展示園もあります。本当にお城みたいですね。これから地下の熟成室を見学していきます。熟成室は一年を通じて室温15度が保たれています。十勝でワイン造りを始めた1963年以来の、オールドヴィンテージワインです。もちろん販売を目的としたものではなく、研究用ですよ。樽熟成がなされています。ちなみにドリカムの吉田美和さんが池田町出身だったんですね。そういえばこの歌のメロディーが流れてましたよ。ちなみにこれは十勝バスさんにお土産として頂いた幸福駅行きの切符。ひところ幸福のお守りとして人気を集めましたね。十勝バスツアーも終わり、再び帯広市内に戻ってきました。感想を言えば、ちょっとこのバスツアーは私の期待していたものとは合わない、という印象でした。「雄大な十勝の大自然」みたいなものを期待していたんですが、「土産物屋巡回ツアー」みたいな感じでした。さあ、晩飯です。帯広といえば「豚丼」です。またかいな。帯広の中でも一番の人気店が、行列が出来る「ぱんちょう」というお店です。昼間から凄い行列で、それだけで行きたくないな、と思いましたが。夕方の行列はそれ程でもなかったので、行ってみることにしました。あっさり5分程度で入れました。頼んだのは一番肉の多い「華」で1300円でした。おお、肉があふれてるよ、凄え量!これはガッツリいけそう。甘いタレもうまい。妙齢の女性店員さん達も、親身な接客で感動した!人気店なのに傲り高ぶらないのは偉いです。がっつり食った後は、ホテルにチェックインして寝ました。さて日が変わって、北海道旅行も7日めです。釧路市に移動する予定でしたが、釧路へと向かう「特急スーパおおぞら」の発車には少し時間があったので、またしてもタクシーを拾って十勝平野の見どころを遊覧してもらいました。前日の観光バスの消化不良をここで晴らしたいと思います。タクシーの親父さんに「十勝の自然というか、雄大な大農法みたいな絵が撮りたいんだけど」とお願いしたところ、幸いにもノリノリで引き受けてくれて、色々解説しつつ、まわってくれました。まずは広瀬牧場という農場を覗いてみました。乳牛たちに会えるでしょうか?サイロかな?サイロとは飼料(エサになる牧草など)を置いておくところ。それにしてもデカいトラクターだなぁ!あっ、乳牛いました。乳牛の朝ごはんタイムでした。じい〜〜〜〜っ。美味そうに食ってる子もいれば、じーっと警戒してこっち見てる子もいます。この乳牛たちは、ホルスタインといい欧州原産の牛を輸入したものです。今では北海道だけで90万頭もいるらしい。彼女たちは生まれてすぐ歩き出し、2週間くらいで離乳します。そして1歳半くらいで人工受精で妊娠して、美味しい牛乳を出してくれます。ちなみに辛いことも言うと、6〜7歳まで妊娠と搾乳と出産を繰り返した後に、肉牛とされてしまいます。オスはもっと短命で、一部の種牛になる子を除いて、ほとんどすぐ肉牛用の牧場に回されてしまうんだって。そういうことを考える時に、我々が食事の前に「いただきます」と言うことにも、本当は重い意味があるんだとわかりますね。命を頂いてるんですね。これは飼料を丸めたものでしょうか。いわゆるロールベールサイレージかな。とうきび畑です。お隣はてんさいの畑です。ビートや砂糖大根とも言う。北海道が全国生産額第一位です。というより北海道でしか作ってないかな。大豆の畑です。白い花をつけてるジャガイモ畑です。長イモ畑です。フィルムで保温や、暴風による耕地の損傷などを予防するのでしょうね。帯広はウィンタースポーツも盛んです。この「明治北海道十勝オーバル」はスピードスケートの聖地です。ピョンチャンオリンピックで大活躍した高木姉妹など、競技者のトレーニングに使用されています。姉妹揃って金メダルですからね!恐れいったよ。帯広の子供達にとっては、スケートは必修科目のようです。そんな中で凄い才能が育っていくんですねえ。「帯広の森アイスアリーナ」は、アイスホッケーやフィギュアスケートで使用されます。野球場もあったし、帯広の運動施設は充実している感じがあります。やっぱり政治家(中川家)が強いと予算もいっぱい引っ張れるのかな?中川昭一さんなんて、急死してなければ、今頃は総理大臣やっててもおかしくないもんなぁ。でも十勝の人たちは、なんだかんだ言って、みんな基本的に裕福だそうですね。大規模な農家が多く、豊かな町なんだね。人口は16万で、札幌、旭川、函館、苫小牧に次いで道内五番目の都市らしいです。この小高い丘は、2016年に北海道をおそった台風被害の土砂を集めて作ったんだって!運ちゃんに「この丘に登ってみるか」と誘われたんですが、めまいがきつかったので見るだけにしました。タクシーに乗ってから「是非登って欲しかった。見晴らしいいから」と言われましたが、それならもっと強く言ってくれれば頑張ったのにwあの年の台風は、JR北海道の日高本線に致命的な打撃を与え、今も鵡川から様似では代行バスを使っています。JRが復旧を断念したとの噂もありましたね。(JRは否定)JRが事実上壊滅した今、道央との物流を支えているのは、作る時に「むだ使い」と散々叩かれた「道東自動車道」だというのは、なんとも皮肉なことだ、とタクシーの運ちゃんに教えてもらいました。日高本線さえ無事だったら、今回間違いなく「襟裳岬」に行っていたと思います。吉田拓郎のファンとしては残念でした。これはかつて世界一長かった緑ヶ丘公園の「400メートルベンチ」です。1200人以上座れて、ギネスにも載ったんだって。確かに長いですね。だからなんなのという気もしますがw端から端まで行くのに、5分くらいかかるそうです。。今は北陸のどっかに抜かれたそうです。さて早朝タクシー遊覧も、そろそろ終わり。釧路への鉄道の時間です。なんかすっかりタクシーの運ちゃんと共鳴してしまって、運ちゃん曰く「採りたてのとうきびがうまいんだよなあ、コンビニで普通に売ってるのがうまいんだよ。フルーツ感覚で食えるから。あんたに食べさせたいなあ」と。「私が奢るから」と言って運ちゃんセイコーマートへw残念ながら、とうきびは売ってませんでした。その代わりミルクキャンデー買ってきてくれたw サービス精神満点の運ちゃんでした。ありがとうございました!7日めの午後は最終目的地の釧路へと向かいます。

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  • 02Nov
    • 北海道 苫小牧歴史巡り【開拓史跡 王子製紙 山線】

      北海道旅行5日め続編です。室蘭観光を終え、東室蘭駅からJR室蘭本線を使って、約一時間で苫小牧駅に移動します。綺麗な一直線の線路です。苫小牧駅に無事到着しました。午後は苫小牧をまわって、ここで1泊します苫小牧市も、室蘭市と同様の産業都市で、製紙パルプ業や石油精製業などが盛んな町として知られています。室蘭の時と同様、駅前でタクシーの運ちゃんと交渉。観光タクシーをやってもらうことにしました。まずは苫小牧の歴史を訪ねて、「勇払(ゆうふつ)開拓史跡公園」へと向かいます。苫小牧のひとつ隣の駅の、勇払(ゆうふつ)地区のはずれに位置する「勇払開拓史跡公園」には、蝦夷地の開拓にかかわった合計29人分の墓石がまつられています。苫小牧が現在の繁栄に至るまでは、長年の開拓の歴史がありました。まずは江戸時代の寛政期の「八王子千人同心」の話までさかのぼります。18世紀末の、ロシア使節ラクスマンの根室来航以降、幕府は北方対策を真剣に考え始めます。そしてついに1799年、幕府は松前藩から蝦夷地を召し上げ、直轄地としました。翌年、半士半農の八王子千人同心が、蝦夷地の防衛と開拓を幕府に願い出て、組頭原半左衛門を隊長に、同心子弟100人を伴って蝦夷地に入りました。しかし移住した同心たちの生活は、苛酷な環境の中で困難を極め、2年目にして死亡する者16人、病にかかり帰郷する者や自殺する者など多数の脱落者を出し、4年で中止となってしまいました。移住者の25%が病死するという悲劇的な結末を迎えてしまいました。下の画像が、千人同心の河西祐助という人の妻・「お梅さん」という女性のお墓です。このお梅さんという人は25才の若さで、幼な子を残して病死をしており、無念からか成仏出来ず、化けて出るという伝承もあります。ある日、夜中に家の戸を叩く音がして、外から「この子にお乳を・・」という声がする。慌てて戸を開けてみたら、誰もいない。これが世にも哀れな「夜泣きお梅」の伝承です。札幌の本郷新美術館で見たこの人がお梅さんです。墓地の奥には地蔵尊がありました。また同じ敷地に資料館もあり、開拓当時の道具や家具など見学することが出来ます。「勇武津資料館」です。八王子千人同心移住200年を記念して、2001年に開館したそうです。建物は、江戸時代末期に勇払に所在した勇武津会所の外観にちなんで建てられ、当時の生活をしのばせる調度品や資料を展示しています。機織りしています。八王子は織物が盛んな土地です。ちなみにブログ主は八王子市千人町在住ですが、それを資料館館長さんに告げたら、目を丸くして驚いていましたね。千人同心の縁で、苫小牧市と八王子市は姉妹都市になっていて、市長の行き来など公的交流は結構あるらしいですが。資料館長さんも「一般のひとで、しかもこんな外れのところまで来るのは、本当に稀なことですよ」とブログ主の暇人ぶり?に驚いたようでした。勇払地区を離れ、苫小牧駅、苫小牧港周辺に戻ってきました。苫小牧市民会館そばにある「千人同心の像」です。制作者は本郷新氏、北海道の彫刻といえばこのひとを外せないんでしょうね。千人同心の下には、乳飲み子を抱えて悲しそうな女性がいます。これがお梅さんですね。霊を銅像にしちゃったんですね。さて現在の苫小牧というと、製紙パルプ業や石油精製業などが盛んな産業都市です。その発展の基礎を築いたのが、王子製紙です。何しろ駅前5分くらいの土地に、苫小牧工場がどかんとある。駅から見える!また駅前メインストリートは、王子通り、王子総合病院、王子アイスアリーナなど、何でも王子。これぞまさに企業城下町だわ?元々人口3000人くらいの寒村だった苫小牧に、王子製紙が明治時代の終わり頃にやってきて、現在人口17万の都市を作っていったというイメージですね。敷地内でうろちょろしてたら、やはり警備の人に見咎められ、つまみ出されましたw工場見学をできなかったのだけが心残りですねえ。3日前ぐらいまでに依頼すれば誰でも見学させてくれるんですよ。今回はめまいがしていて、そこまで考えつく余裕がなかった。駅前の王子製紙・苫小牧工場そばに、不思議な機関車が展示されていました。何じゃこりゃ?これは「王子軽便鉄道」、通称「山線」と言われる鉄道を展示したものです。千歳川上流にあった水力発電所への資材搬入や、支笏湖湖畔からの資源輸送のために使われたそうです。後ろに客車があるのは、昭和天皇が皇太子時代に発電所視察に訪れた際に「貴賓車」として乗ったものを、改修したものらしい。1951年に廃線になるまで使われたそうです。苫小牧港といえば、日本初の人工掘り込み港で知られます。チョキの形をした人工掘り込み港で、Y字の鹿島港と比較してみると面白い!短いチョキの指で3キロ、長いチョキは10キロあるそうです!上のグーグル地図上の赤いマークが下の港の様子です。苫小牧港は道内の物流の半分を占めているとか。まあ千歳にも札幌にも近いですからね!室蘭港とは地理的要因が違いますねえ。コンテナ多いし、船もでかい!また定期フェリー便も多いそうです。八戸、仙台、大洗、名古屋など様々!実は私も苫小牧からフェリーに乗ったことがありました。吉田拓郎の真似してw吉田拓郎「落陽」(2:22頃から)(篠島アイランドコンサート)しぼったばかりの夕陽の赤が 水平線からもれている苫小牧発・仙台行きフェリーあのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよおまけにテープをひろってね 女の子みたいにさみやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆくもっとも私は苫小牧発東京行きフェリーでしたが。この歌詞を書いた岡本おさみさんももう逝ってしまいました。 COMPLETE TAKURO TOUR 1979【SHM-CD】 3,823円 Amazon 79年ツアーは「落陽」もいいけど、現在封印されてしまった「ペニーレーンでバーボン」が最高なんだよなあ。「青山徹だあ、松任谷だ、松任谷だ!」の絶叫。言葉狩りは下らないことです。その後、「緑ヶ丘公園展望台」というところに登ってみました。3階建ての展望塔です。確かに市街地は一望できますね。3階が展望台になっています。実はチョキの港の全容が観れることを期待して、目的地としてチェックしてたんですが、この高さでは無理だったwまた苫小牧は石油の備蓄拠点としても有名です。写真は撮影出来ませんでした!画像はどこぞからか拾ったものです。あしからず。最初に行った勇払地区のさらに向こう側で、ちょっと遠くて、実際には行けませんでした。ジェット機が入るくらいの巨大な石油タンクが、50以上あって日本全国分の17日間分くらい、苫小牧だけで保てるらしいです。苫小牧市役所前に行き着くと、ここにはまたも本郷新の銅像「緑の環」がありました。高い位置で、しかも暗くてよく見えないですね。同じものが苫小牧駅前にもありました!この高さならよく見える。同様のものは近隣5つあるそうで、どれも微妙に表情が違うらしいですね。5日めは苫小牧泊で終了です。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 01Nov
    • 北海道 室蘭巡り【地球岬 白鳥大橋 新日鐵】

      北海道旅行5日めです。この日は、道都・札幌に別れを告げ、南下して行きます。札幌から南下というと、定山渓温泉とか登別温泉とか行くのが普通ですよね。でも、どっちも行ったことがあるので、今回はあえて観光都市ではない工業都市を訪問して行こうと思います。社会科見学っぽい?一日にするつもりです。札幌から道南バスで南下し、室蘭市を目指すことにしました。室蘭市は、産業都市で、大した観光資源がなく、ひたすら地味な印象があります。モーニング娘。のなっちが室蘭でしたか?それぐらいの知識しかないw私も何度も近辺まで行きながら、近隣の登別温泉や洞爺湖の魅力に勝てず、スルーしていました。今回は反省して、室蘭市に初上陸してみたいと思います。札幌から室蘭は道南バスで2時間ちょっとです。片道2600円なり。室蘭市の旅の玄関口は、「東室蘭駅」です。ここからタクシーを拾って、観光を始めて行きたいと思います。この赤いのは、東口と西口の連絡通路のようですねえ。何しろ観光都市じゃないので、得意の定期観光バス作戦も使えない。で、駅前でタクシーのドライバーの親父さんと交渉して、室蘭名所を一通り回ってもらうことにしました。地元の運ちゃんは、色々教えてくれるから面白いし、ためになるんだよね。まずは室蘭市といえば「鉄の町」。新日鐡の企業城下町として発展しました。もうもうと立つ煙りは、昔も今も変わっていません。新日鐡の「領土」はすごい広さだね!色々と眺望の良さそうなところから撮影してきました。夜景で見ると綺麗らしいですけどね。工場夜景って実はまだ見たことないんすよね。室蘭市の一番いい時代は、やはり高度経済成長の頃だったらしいですね。人口も17万以上いたようです。今は大体半分といったところです。このへんは原料かな。製鉄業は鉄鉱石、石炭、石灰石が原料となります。次に室蘭八景の「トッカリショ」に行ってもらいました。トッカリショとはアイヌ語で「アザラシ岩」という意味らしいですね。漁場として使われていたそうです。とんがってますね!さて室蘭市の唯一の(と言ったら失礼ですが)観光名所が、「地球岬」です!名前はアイヌ語の「ポロ・チケプ」(断崖)に由来しており、それが訛り、転化して一般的に地球岬と呼ばれています。この水平線は圧倒的です。ありがち「幸福の鐘」だそうですwここだけはふつうに観光客もいました。中国系が多かったかな?多分登別に泊まって、ついでにここに来てるんでしょうね。地球岬灯台は1920年につくられたそうです。運と天気が良い日は、クジラやイルカの群れを見ることができるようです。地球岬名物「毒まんじゅう」ってなんじゃ、こりゃ!!実は6個か7個入りの饅頭の中に、ひとつだけ唐辛子入りが含まれているとか!「何度もテレビで取り上げられるほど、有名なんだよ」と店の親父さんがなぜか勝ち誇ってたけど。全然知らなかったよ。「測量山」山頂に来ました。1872年に「札幌本道」(現在の国道36号線)を建設する際、アメリカ人技師ワーフィールドが測量をするため登ったことから、「見当山」と名付けられ、のちに「測量山」と呼ばれるようになったそうです。海抜199mあり、めまいの身にはキツいですw展望広場に登ってみました。テレビやラジオの送信所があります。ここは室蘭の港を一望できる絶景スポットです。白鳥大橋が見えます。フェリーが見えますね!実はこの旅行の2ヶ月前の2018年6月に室蘭〜宮古(岩手)間のフェリー航路が就航しました。正直「誰が使うんだよ」とこの時は思ったのですが(失礼!)、なんとこの旅行の1ヶ月後に北海道を襲った大地震の際に、この航路が救援部隊や支援物資の輸送に大活躍することになります。重ね重ね失礼しました!「白鳥大橋」の対岸にきました。通行無料の自動車専用道路になっています。この橋のおかげで、対岸の絵鞆半島と結ぶことができ、30分以上の時間短縮が可能になったそうです。当初は有料道路にしよう!という案もあったらしいが、「有料? じゃあ、いらねえ!!」という意見が多く、無料化されたとのこと。この橋の建設に尽力したとされるのは鳩山由紀夫元総理大臣ですね。対岸にJXTG室蘭製造所が見えます。石油の精製をしています。夜景は絶品だそうですね。室蘭観光はこれでおしまいです。室蘭名物グッズの「ボルタくん」です。さすが鉄の町や。さまざまなバージョンがあるんすね。ライトフィルダー、イチロー・スズキ!ヴァイオリン弾くボルタくん。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 31Oct
    • 北海道 札幌円山巡り②【彫刻美術館 大倉山展望台】

      北海道旅行4日め、午前に小樽を観光し、午後は札幌の円山地区を観光しています。その続編です。さて円山球場をあとにして、あまり行く人も無いかもしれない美術館へ向かいました。「本郷新記念札幌彫刻美術館」です。1キロくらい歩いたかな?でも、グーグルマップは偉大ですね。全然迷わずに行けたよ。グーグルマップなかったら絶対タクシー拾ってるわ。本郷新さんは既に故人ですが、札幌出身の著名な彫刻家です。稚内の「氷雪の門」も、札幌駅前の「牧歌」も、大通り公園の「泉の像」も、釧路の「四季の像」も全て本郷新なのですね!知らなかったよ!本館と記念館があります。ここは本館で、特別展を展示してます。本館の前にはいっぱい像がありました。この作品は「戦没学生記念像〜わだつみの声」です。若い命を散らした若者たちへ捧げた作品なのでしょうね。その他、いっぱいありました。続けて記念館に行ってみたいと思います。実はこっちが見たい。この記念館は生前、本郷新がアトリエとして使っていたところみたいです。入館料は記念館のみなら200円でしたが、本館の特別展も見たくないのに間違えて払ってしまった。巨大な石膏原型や制作道具などが展示されて凄かった!デカかったですよ。当初、この美術館の存在を全然知らず、行く予定もなかったんですが、ネットで見かけてふと気になって、行ってみたら良かったですよ!おっ!これは大通公園のやつだな!「泉の像」「氷雪の門」と再会!「横たわる青年」「朔北の母子像」 釧路の博物館前にあるそうです。「踊る女」長野県の佐久にあるそうです。「北の母子像」 北海道庁前庭にあるそうです。左が「緑の環」、右の首がないのが「ライラック像 トルソー」「緑の環」は苫小牧にあるやつですね。この後訪問することになります。これは釧路の幣舞(ぬさまい)橋にある「冬の像」ですね。この後訪問することになります。この3体はセットで「天の扉」という作品です。東京の「大日本印刷」に完成品はあるらしい。「蒼穹」です。中央大学の依頼によって作られたそうな。そういえば中大付属に行った時にこれあったわ!「勇払千人同心の像」で、後に苫小牧で再会することになります。千人同心とセットで展示されるお梅さんの像です。これも苫小牧にある。「石川啄木の像」で、これは釧路にあります。大阪の中之島公園にある「緑の賛歌」です。本郷新が作った作品の中でも最大の作品で、4m30cmあるそうです。下から見上げる構図になるため、上半身を大きめに作ってるそうですね。2階から見下ろすこともできます。中之島公園の本物をこの角度から見ることは不可能なので、とても貴重です。中之島公園の本物は土台含めて12m以上の高さとなる。(この像を寄贈した浅井産業HPより拾った画像)小一時間、素晴らしい彫刻群を一人でほぼ独占できたし、来てよかったと心から思えましたwさてそのあとは美術館からは歩いて「大倉山展望台」へ向かいました。これは失敗だった。タクシー使うべきだった!グーグルマップを過信して、調子こいてたよ。上り坂を計算に入れてませんでした。ジャンプ台なんだから、高いところにあるのに決まってるよな。「大倉山展望台」にやっと着いた!疲れました。めまいだって治ってないし。本州の暑さだったら死んでたよ。エスカレーター!助かったよ。大倉山展望台は、もともと1932年にジャンプ台「大倉シャンツェ」として開場しました。後に1972年の「札幌冬季オリンピック」に向けて大改修を行いました。リフトに乗って、展望台へ向かいます。ときどきリフトが宙ぶらりんで停止するんだよね。多分お年寄りの方が、なかなか上手く乗り降り出来なくて一瞬停めてるんでしょうね。何気に怖いわ。無事到着しました。リフト降りて展望台へ!眺めは絶景!よくこんなところから飛べますよね。藻岩山も見えます。円山球場ですね。大通り公園とテレビ塔かな。展望所で夕張メロンソフト売ってました。つい食っちゃうんだよな。リフトを降りて、「札幌オリンピックミュージアム」にも立ち寄りました。札幌は1972年に、我が国最初の冬季オリンピックが開かれた場所です。北海道の冬季スポーツや「札幌オリンピック」の歴史について学べました。実は1940年の幻の「東京オリンピック」(支那事変のため中止)の時に、同年札幌で冬季五輪が開催されるはずだったらしいですね。東京と同様、中止になったようですが。スター達の衣装や用具。真ん中の黒いのは浅田真央選手のジャージですよ!バンクーバーでもソチでも金メダル以上の感動を与えてくれました。カーリング娘。「そだね〜」で有名になったロコ・ソラーレ北見の皆さんのウェアです!平昌オリンピックって今年だったんですけどね。随分昔に感じること。左は女子ジャンプの高梨沙羅ちゃんのウェアです。彼女も悲願のメダルをつかみましたね。スキージャンプの疑似体験など、家族で楽しめるコーナーもあり。年甲斐もなく私もやったw色々楽しめました。帰りは「くらまる」というバスがあり、地下鉄円山公園駅から、円山動物園を経由して大倉山まで往復しています。地下鉄円山公園駅まで行き、札幌中心部のホテルに帰って寝ました。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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    • 北海道 札幌円山巡り①【北海道神宮 円山球場】

      北海道旅行4日め続編です。小樽市内を散策した後に、小樽駅前から札幌行き高速バスに乗れました。そういうバス路線があることを全然知らなかったんですが、午後からまわるつもりだった円山公園周辺を経由していて、一気に行けるようです。ラッキーです!円山第一鳥居バス停付近です。まずは北海道神宮を目指します。第一鳥居バス停で下車してから案外歩き、15分くらい歩いたかしら?途中ふらっと、お蕎麦屋さんだか喫茶店だかよくわからない店で昼食をとった後に、北海道神宮に参拝しました。実は今までは北海道神宮に、偏見というか違和感を感じていました。和人の歴史の浅い北海道なのに、「神宮」と言われても正直しっくり来ない印象がありました。佐賀藩士、島義勇(よしたけ)の像がありました。この人物を不勉強でよく知らなかったんですが、幕末から明治時代にかけて、北海道の発展に尽力したそうです。初代開拓使でもあったと。が、事あるごとに政府と対立し、ついに佐賀の乱に加わり、斬首される!でも上野の西郷さんでもそうだけど、本当に偉い人はいったんは「賊軍」とされても、必ず名誉回復されますよね。北海道神宮は、1869年の9月1日に、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々を祀って「札幌神社」と名付けられました。後に1964年、明治天皇を増祀し、社名も「北海道神宮」と改称しました。歴史が浅いと言っても、よくよく考えれば「明治神宮」の方が新しいわけだし、その明治様が祀られているなら、ありがたくお参りしてきました。北海道神宮の裏手に、札幌「円山球場」があり、試合をやってたようなので、行ってみました、(神宮まで歓声が聞こえた!)ぐるっと森をまわって、テニスコートの前を通って、球場に行きます。球場の前に「南部忠平顕彰碑」がありました。この碑も本郷新の作品らしいですね。南部忠平という人は、名前しか知らなかったんですが、札幌出身の陸上選手で、1932年のロサンゼルスオリンピックの男子三段跳びで金メダルを獲得してる人ですね。さて円山球場といえば、日本ハムファイターズが札幌ドームを本拠地にする前は、プロ野球の公式戦も多く行われていました。今は数年に1度くらいのペースらしいですね。とりあえず入場したいんだけど、どこから入ればいいのか?ちょっとウロチョロさ迷いました。ここはバックネット裏の記者席じゃないのか?いったん外に出てようやく中央入り口を発見しました。試合をやっているようですけど、チケットを売ってないようなので、無料で観戦できそうですねえ。なかなかいい感じの球場です。なんと言っても、円山球場と言えば1988年夏の、巨人・吉村禎章選手の激突事故です。栄村選手との激突でした。靭帯を3本も断裂し、選手生命が絶望視された大事故でした。吉村と言えば、次世代のスーパースター候補として嘱望されており、打率3割2分、30ホーマーぐらいは毎年打てるだろうと期待されていました。当時のセントラルのピッチャー達も、「吉村には穴が無い。どこを投げても打たれる気がする」と怯えていたほどの存在でした。怪我さえなければ、おそらく通算成績は2000本安打、300ホーマーぐらいは打てたんじゃないでしょうか。ゆえにこの事故の衝撃は忘れられません。吉村に怪我をさせた栄村も、相当思い悩んだそうです。それを当時コミック漫画で「ダミアン栄村」とおちょくり、散々ネタにした「やくみつる」は当時から最低の野郎でした。そして同じ時期(その翌年)に、中森明菜さんの自殺未遂事件があった。当時の明菜はまさに歌謡界の女王。歌唱力に、振り付けに、衣装に、1曲ごとにものすごいコンセプトを持っていた! 中森明菜 in 夜のヒットスタジオ [DVD] 21,068円 Amazon 吉村さんも明菜さんも、その後無事に復活しましたが、往年の輝きは最早ありませんでした。我々は昭和から平成の変わり目に、スーパースターを二人も失っているんですね。円山球場の話から脱線しました。球場の施設はボロくなってましたが、熱い試合が行われてました。「熱い」であって、「暑い」ではない。北海道はやはりいいですね。夏の甲子園も球場の雰囲気は最高なんだけど、やっぱり死ぬほど暑いから、こっちは丁度いい野球日和ですよ。試合は北海道大学VS東北大学の試合でした。生で観戦する投打の応酬や、守備の躍動はたまらなくいいもんですね。観客は夏休みのせいかほとんどいませんでしたが、北大応援部は孤軍奮闘、頑張ってましたよ。ガラガラのスタンドで飛び回って応援していた!選手は嬉しいと思うぞ!私も野球の試合見てると、つい熱くなって、「よっしゃあ!」とか「ファースト!」とか「ゲッツー!」とか喚くんですが、最後は北大応援団の諸君がハイタッチに来てくれましたw 「頑張れよ!北大!!」とエールを送っておきました。ところで次の試合に控えていたのは、阪大と九大でした。旧帝大の対抗戦が夏にあるんですかね?実は数年前に京都大学キャンパスを訪れた時にも、東大対京大の試合をやっていたのを見たことがあるんです。と・・、気になって調べてみたら、七帝大の準硬式野球部による対抗戦だったようです!数日後にもネットで調べてみたら、結局阪大が優勝したみたいですね。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 30Oct
    • 北海道 小樽歴史巡り【小樽運河 旧日銀小樽支店】

      北海道旅行4日めです。めまいも治ってはいませんが、とりあえず観光は強行して続けていきます。さてまずは札幌駅前を散策します。札幌駅前は流石の大都会!巨大なビルが林立します。JRタワービルは昔上ったことがあります。このビルは展望フロアがあって、夜景を展望出来るんですよね。駅前広場に、「氷雪の門」作者である彫刻家・本郷新による「牧歌」があります。北海道では、この人の彫刻を一番よく見かけますね。雪祭りの舞台にもなる「札幌大通公園」も来てみました。札幌テレビ塔が見えます。なんかエッフェル塔みたいで、カッコいいじゃない!大通り公園にもあった!本郷新の「泉の像」です。テレビ塔を背景に、撮影スポットになっています。ちなみに前日まで天皇・皇后両陛下が、札幌にいらっしゃったそうです。「北海道150周年式典」に参加されるため。1868年まで北海道は、蝦夷地と呼ばれていました。松浦武四郎という探検家によって「北海道」と名付けられたそうです。私ごときが、利尻島から続いて札幌まで、天皇陛下を追いかける形で、移動してきたことになります笑 4日めの午前は小樽にやってきました。札幌から函館本線で50分くらい?久しぶりです。車窓からは日本海が見えます。さあ、いよいよ到着です。25年ぶりくらいかな!駅舎はこんなだったか。当然のように記憶無し。最近の小樽は榎本武揚で売ってるのかな?榎本武揚というと、どうしても箱館戦争のイメージですが、戦後釈放されてからは北海道開拓に尽力し、小樽の開発も榎本の手によるところが大きいとか。とりあえず小樽運河まで散策します。中央通りを直進して、12分ほどです。これは旧国鉄手宮線跡地ですね。かつては石炭輸送に使われた路線の、廃線跡が現在もほぼ保存されており、一部は自由に散策できるよう綺麗に整備されています。中央通りを散策すると、真っ直ぐ名物「小樽運河」に到着しました。最初に来たのはまだ昭和で、堀江しのぶさんが亡くなった夏でした。当時、北海道のニュースでそれを知ったことを、今も強烈に覚えている。最初は「運河」というと、パナマやスエズみたいな強大なものをイメージしていて、「何だよ、これ川じゃん?」と愕然とした記憶があります。旧石造倉庫群が並ぶ運河沿いを、クルーズ遊覧出来るっぽい。乗らなかったけど。いかにも物流の拠点、商都として栄えた雰囲気ですね。欧州大戦バブルでわいた大正末に作られて栄えましたが、埠頭整備以降は廃れ、現在はレストランなどのお店として再利用されています。幼少期を小樽で過ごした俳優の石原裕次郎の歌碑です。今は閉館してしまったそうですけど、石原裕次郎記念館が小樽にありましたよね。(行ったことなかったけど)ガス灯がいい雰囲気で、夜にライトアップされたらいいんでしょうね!ちなみに下の夜の画像は、観光協会のHPから拾ってきました。(午後から札幌に戻ってしまいましたので)運河沿いを散策するうちに「北一ベネツィア美術館」なるものがあって、のぞいてみました。1階はガラス製品などの陳列。ベネツィアらしいゴンドラもあったで。有料となる2階にはダイアナ妃乗ったらしいゴンドラがあるとか。あと貴族のコスプレが出来るんだって。行かなかったけど。まあ正直安っぽい雰囲気のところでした。何か運河=水の都=イタリア路線で、攻めてる街なんですかね?後は適当に散策しました。ハイカラな街並みが続きます。小樽オルゴール堂です。(入らなかったけど)これもオルゴール堂かな。ガラス製品、オルゴールなどが名産なようです。どれも涼しげで良さそうな品ですね。(買わなかったけど)小樽のもう一つの顔は、かつて「北のウォール街」と呼ばれた金融の拠点であったことです。旧第一銀行小樽支店です。旧三井銀行小樽支店です。大正時代末には、小樽は道内最大で20箇所ほどの金融拠点がありました。(札幌でさえその半分だった)日銀小樽支店、三井銀行、安田銀行、第一銀行、拓銀、道銀をはじめとする銀行建築。三井物産、三菱商事などの商社など、北海道一の経済繁栄を誇っていました。旧日銀小樽支店です。1912年に辰野金吾(東京駅などを設計)らの設計により竣工しました。2002年に札幌支店に統合という形で、銀行としての使命を終え、現在は金融資料館として、無料で見学出来ます。日銀の歴史や、お金や金融の働きについて学ぶことが出来ました。昔のお札の色々。懐かしいのもあります。偽札の発見方法、色々あるんだなあ!透かしは知ってたけど。マイクロ文字がものすごく小さく印字されてるんですね。これは偽札では再現不可能だとか。災害などで損傷したお札がどこまで再利用出来るか!これなら全額交換できるそうです。半額交換なら可能。これだともはや失効。など色々あるみたい。金庫でけえ。インフレ、デフレ時に日銀は金融政策を行います。ちなみにこれは1000億円分らしいです。1億円は手で持てる。10キロくらい。使えなくなったお金はシュレッダーされるらしいです。その紙屑の固まり。これで10億円分あるらしいですよ。何とお土産コーナーで、お札の紙屑入りボールペン売ってたよ!凄え!お土産の一番人気はお札のせんべいらしいです笑小樽ではまずまず楽しめました。午後は札幌へと帰還し、円山地区を中心に散策予定です。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 29Oct
    • ルーベンス展〜バロックの誕生【国立西洋美術館】

      国立西洋美術館の「ルーベンス展〜バロックの誕生」に行ってきました。国立西洋美術館に来るのは、夏に「ミケランジェロ展」を見に来て以来です。待ちに待ったルーベンスがやってきました!国立西洋美術館も世界文化遺産に指定されましたね。ル・コルビュジェの建築作品として評価されました。まずはロダンの作品を見てまわりながら、気持ちを高めていきます。さあ、行ってみよう!音声ガイドはまさみちゃんですか。最近は芸能人の起用が多いですね。フェルメールは石原さとみらしいじゃないですか。ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)はスペイン領ネーデルラント(現在のベルギー、ルクセンブルクを中心とする地域)のアントウェルペンで育ちました。由緒ある家柄の息子だったため、宮廷人となるべく高度な教育をほどこされましたが、画家への思い捨てがたく、修業を始めます。修業を終えると1600年から08年までイタリアに滞在し、古代美術やルネサンスの美術を咀嚼しつつ、当時の最先端の美術を身につけた画家に成長しました。アントウェルペンに戻ったルーベンスはこの地を治める総督夫妻の宮廷画家となり、大規模な工房を組織して精力的に制作に励みましたが、一方で外交官としても活動します。彼はスペインやイギリスなどに赴き、当時戦乱のさなかにあったヨーロッパに平和をもたらすべく、奔走しました。その際も各地の宮廷のコレクションを熱心に研究し、自らの制作に役立てました。彼は光と動きにあふれる作品によって、当時ヨーロッパで流行したバロック美術を代表する画家となっています。企画展は、もちろん撮影禁止だったので、いつものようにポストカードを買ってきました。ポストカードを撮影してみました。ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション現在とは美の観点がちょっと違って、女性はふくよかな方が良いとされていたそうですね。いいとこの奥さんほど、いいもの食えてる証拠ということでしょうか。ルノワールなんかはもろに影響を受けてる感じですね。ペーテル・パウル・ルーベンス《ローマの慈愛》サンクトペテルブルグ/エルミタージュ美術館お父さんに娘が母乳を与えるという異色のテーマが面白い。ペーテル・パウル・ルーベンス《アグリッピナとゲルマニクス》ワシントン、ナショナルギャラリー横顔がギリシャ彫刻っぽいです。これはウェブからスクショで撮りました。ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクションこの娘は12才で死んじゃったらしいですね。ルーベンス作品の肉体美は、やはりイタリアに来て古代彫刻やルネッサンスの作品に触れたことで大きな影響を受けたそうですね。今回の展示ではルーベンスの作品だけでなく、ルーベンスに影響を与えたり受けたりした絵画や彫刻の展示もあり、充実していました。《かがむアフロディテとエロス》ウェブからスクショで撮りました。ナポリ、国立考古学博物館2世紀の作品らしい。ギリシャ、ローマの彫刻は本当に素晴らしい。イタリアに行きたくなったな〜!ミュージアムが毎回の楽しみなんですよね。図録は高いから買いませんがwルーベンスチョコです。さてルーベンスの後は、引き続き常設展に回りたいと思います。国立西洋美術館の原点は、事業家の松方幸次郎によって収集された「松方コレクション」にあります。松方幸次郎は、明治時代の元勲・松方正義の三男として1866年に生まれました。松方は1896年に神戸の川崎造船所の初代社長に就任しました。その後、「船成金」の時代=第一次世界大戦で大儲けした松方は、大戦中のロンドンで美術品の収集を始め、それから10年までの間に3000点以上もの西洋美術作品を買い集めました。松方の目的は決して自分の趣味ではありませんでした。(「俺は絵などわからない」とよく言っていたそうです)彼は私財を投じて、「共楽美術館」という日本で最初の西洋美術専門美術館を作ろうとしていたのです。しかし1927年の経済恐慌により、川崎造船は苦境に陥り、会社の建て直しのために、せっかく集めた美術作品を売り払わなければなりませんでした。松方の美術コレクションは、国内だけでなく、ロンドンとパリにも保管されていました。(馬鹿高い関税に激怒して、国内に持ち込まず保管していた)しかしそのうちロンドンの倉庫に保管していた1000点の作品は、1939年の火災によりすべて焼失しました。一方、パリに残されていた400点もの作品群は、第二次世界大戦時にナチスの接収は逃れたものの、「敵国人財産」としてフランス政府に接収されてしまいます。戦後の粘り強い返還交渉の末、「寄贈返還」という妙な形式で「松方コレクション」370点は返還されました。そしてその返還の条件として、フランス政府の求めによって建設された美術館が「国立西洋美術館」なのです。しかしその「松方コレクション」300数点の中で、最後までフランス政府が返還を渋った作品が、ゴッホの「アルルの寝室」やルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち」などの20点の作品でした。結局「アルル」は返還されず。その代わりとして「アルジェリア風のパリの女たち」は返還を認められました。オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち》しかし来年2019年6月の「松方コレクション展」で、今はオルセーにある「アルル」が来日することになりました!幻のモネの「睡蓮、柳の反映」(長い間行方が分からなくなっていたが、2016年にルーブルの倉庫で発見。半分破損、修復後初公開)も来ますし、これは楽しみです。アンドレア・デル・サルト《聖母子》ヴィンチェンツォ・カテーナ《聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ》パオロ・ヴェロネーゼ《聖カタリナの神秘の結婚》ボニファーチョ・ヴェロネーゼ《聖家族、トビアスと大天使、聖ドロテアと幼い洗礼者ヨハネ》ヤン・ブリューゲル(父)《アブラハムとイサクのいる森林風景》ヨース・ファン・クレーフェ《キリスト磔刑》ヒリス・ファン・コーニンクスロー《「パリスの審判」が表され表された山岳風景》グイド・レーニ《ルクレティア》グエルチーノ《ゴリアテの首を持つダヴィデ》カルロ・ドルチ「悲しみの聖母」フィリップ・ド・シャンペーニュ「マグダラのマリア」ギュスターブ・クールベ《狩猟者のいる風景》コルネリス・デ・ヘーム《果物籠のある静物》マリー=ガブリエル・カペ「自画像」 自画像って、美人だな!あんた。ジャン=マルク・ナティエ「マリー=アンリエット・ベルトロ・ド・プレヌフ夫人の肖像」ルカス・クラナーハ(父)「ホロフェルネスの首を持つユディト」ロレンツォ・マントヴァ「キリスト降誕」テオドール・シャセリオー「アクタイオンに驚くディアナ」ウィリアム・ブーグロー「音楽」ギュスターブ・クールベ《眠れる裸婦》ギュスターブ・クールベ《罠にかかった狐》ジャン=パティスト・カミーユ・コロー《ナポリの浜の思い出》エドガー・ドガ《舞台袖の三人の踊り子》エドゥアール・マネ「ブラン氏の肖像」オーギュスト・ルノワール「木かげ」クロード・モネ「しゃくやくの花園」クロード・モネ「セーヌ河の朝」クロード・モネ「睡蓮」ダンテ・ガブリエル・ロセッティ「愛の杯」ジョン・エヴァリット・ミレイ「あひるの子」ギュスターヴ・モロー「牢獄のサロメ」ギュスターヴ・モロー「ピエタ」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「バラ」ポール・ゴーガン「海辺に立つブルターニュの少女たち」エミール=オーギュスト・カルロス=デュラン「母と子」ラファエル・コラン「詩」ラファエル・コラン「楽」モーリス・ドニ「若い母」オーギュスト・ルノワール「横たわる浴女」オーギュスト・ルノワール「帽子の女」ポール・シニャック「サン=トロペの港」フェルナン・レジェ「赤い鶏と青い空」常設展、好きなんですよね〜。毎回行ってしまいます。ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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  • 28Oct
    • 北海道 札幌に到着【藻岩山の夜景 札幌ラーメン】

      北海道旅行3日めです。今日は稚内市を離れ、なんと320キロ南下し、日本海沿いを札幌へと向かいます。宗谷バスの特急わっかない号で、朝08時30分発で昼14時20分着です。遠いわ!途中車中からも、さまざまな雄大な風景。バスの中からの車窓撮影なので、窓の汚れが写ってしまってるね。途中、羽幌でトイレ休憩です。北海道のお米というと「ななつぼし」なんですね。日本中、どこに行っても萌えキャラいますねw 海老を擬人化したのか〜。一番胸に来たのは留萌(るもい)沖ですね。ここの海域は、大東亜戦争末期に、悲劇があったところです。三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)は、大東亜戦争のポツダム宣言受諾後の1945年8月22日、北海道留萌沖の海上で、樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す。三船遭難事件とも呼ばれる。この事件の慰霊碑が見えました。ポツダム宣言受諾後の、ソ連軍による様々な戦争犯罪の中でも、最も許せないのがこの「留萌虐殺事件」だと感じています。民間人の引揚者を、無慈悲に攻撃殺傷してますからね。ソ連潜水艦はわざわざ浮上して、機銃掃射までやったらしいからね。女子供相手にだよ!アメリカによる都市無差別空襲も非道なものですが、この留萌事件はポツダム宣言受諾後の行為ということを考えるときに、さらに卑怯で、許すことが出来ない。さて320キロの彼方を越えて、道都・札幌に到着しました。人口は190万以上を誇る、北海道唯一の政令指定都市です。しかし今の私は観光どころではなく、めまい対策として、バス車内で予約しておいた「めまいクリニック」へと向かいます。JR札幌駅から函館本線で一駅、「桑園駅」最寄りの「山崎耳鼻咽頭科めまいクリニック」に駆け込みました。webページからスクショ撮りました。いろいろ検査していただいた結果、やはり耳の三半規管の異常によるものだろう、という診断結果が出て、薬をいただきました。恐れていたのは、脳梗塞など、脳の異常ではないかということ。そうしたら命取りになりますからね。とりあえずそれは無さそうなので、観光を続行することにしました。(念のため、東京に戻ってから脳神経外科に行き、MRIをとってやはり脳の異常でないことは最終確認できました)不思議なもので、生命の危機はないことがわかると、元気が出てくるwホテルにチェックインして、もう夕方5時はまわっていたけど、せっかくだから夜景でも見に行こうかという気になりました。私は札幌は多分4〜5回目だけど、今まで見てないところを中心にまわりました。で、長崎・神戸と並び「新日本三大夜景」と言われる札幌・藻岩(もいわ)山の夜景を見に行きました。北海道の夜景というと何と言っても、函館のイメージが強く、確かに素晴らしい。数年前に行った函館の夜景。(まだちょっと明るい時間でした)ただ札幌出身の人に聞くと、藻岩山も侮れないとのことなので、とりあえず行ってみました。行くのは結構手間がかかる。市電を使って、「ロープウェイ入口」停留所まで行きます。札幌は何度も来たことがあるんですが、市電に乗ったのは初めてかも。記憶の片隅にすらないw市電「資生館小学校前」駅から「ロープウェイ入口」駅まで向かいます。なんだかんだいって30分くらいかかりましたね。市電の駅そばから、ロープウェイまでの無料のシャトルバスが出ています。(15分間隔くらい)バスに乗って、「もいわ山ロープウェイ」乗り場まで連れてってもらいました。ロープウェイ乗り場につきました。往復で1700円でした。まあこんなもんだろうなあ。写真で見た感じ、かなり綺麗です。「もいわ山ロープウェイ」は2段式になっています。まず山麓駅から中腹駅まで行きます。まだまだ明るい。次に中腹駅から展望台までミニケーブルカーで行きます。しかし夜景はなかなか、函館に勝るとも劣らず良かった!展望台の鐘は恋人の聖地?かな。鐘を鳴らすと永遠の愛になるとか、ならないとか。勝手にさらせや笑帰りのロープウェイからの夜景も良かったですよ。行き来は面倒くさいけど、価値あるものでした。締めは札幌ということで、すすきののラーメン屋さんで「札幌味玉味噌ラーメン」食いました。味はイマイチ?だったかも。あまり褒めたくないのは、店員の小娘の接客がぶっきらぼうだったから。それでも本当に美味ければ褒めるけど、本当にそれ程でも無かったからね笑ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村

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プロフィール

目白芭蕉

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歴史と文化の世界を訪ねて、さまざまな土地を旅していきたいと思います。芭蕉?のごとく紀行ブログを不定期...

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