2019年4月のフランス紀行です。

 

ルーヴル美術館   Musée du Louvre

リシュリュー翼の2階を見学していきます。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「ヘラクレスとオムパレー」

1602年の作品です。

このあたりからいよいよルーベンスの大型作品の嵐になります。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「東方三博士の礼拝」

1626年〜1627年の作品です。

別名は「マギの礼拝」。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「Tomyris has the Head of Cyrus the Great Bathed in Blood to Avenge The Death of her son」

1620年〜1625年の作品です。

首の男はアケメネス朝ペルシャの初代国王キュロス二世です。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「The Tribute Money」

1614年〜1620年の作品です。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「四輪馬車のあるエレーヌ・フールマンの肖像」

1639年の作品です。

エレーヌ・フールマンはルーベンスの後妻です。16歳の時に、53歳のルーベンスに嫁ぎました。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「天使に率いられソドムを離れるロトとその家族」

1625年の作品です。

 

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「エレーヌ・フールマンと子供たち」

1636年の作品です。

ルーベンスはこの後妻を深く愛しました。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「スザンナ・フールマンの肖像」

1620年〜1625年の作品です。

ルーベンスの後妻エレーヌの姉です。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「ディードーの死」

1635年〜1638年の作品です。

 

 

 

この部屋がまるまる「ギャラリー・メディシス」です。

この部屋を占めている絵画・全24枚は、フランス王妃マリー・ド・メディシスの生涯をテーマに描かれた連作です。描いたのは全てバロック期のフランドルの大家ピーテル・パウル・ルーベンスです。

 

マリー・ド・メディシスは、1573年にフィレンツェの名門メディチ家に生まれました。27歳の時に、フランス国王アンリ4世のもとに嫁ぎます。(当時としては異例の晩婚)アンリ4世が暗殺されると、幼い息子ルイ13世の摂政となりますが、政治的な能力に乏しかったため、やがて貴族や成長したルイ13世から不興を買うようになります。そしてついに息子から追放され、いったんは和解するものの、1631年には再び追放され、ブリュッセルに亡命しました。

これらの連作は、ルイ13世といったん和解した頃に、ルーベンスに依頼されたものと考えらえます。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「マリー・ド・メディシスの運命」

連作『マリー・ド・メディシスの生涯』の最初の作品です。

ローマ神話に出てくる3柱の運命の女神パルカが身をよじって雲に坐し、天界の王であるユピテルとユノを見上げています。裸身のパルカたちは美しく、マリーの運命の糸を紡ぐ姿で描かれています。パルカたちの存在が生まれてくるマリーの幸運と統治者としての成功を保証しており、これ以降の作品群にマリーの幸福な生涯が描かれることを告げています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「公女の誕生」

1573年4月26日にマリーが生まれたときの絵画です。

嬰児マリーの頭上には豊穣の象徴であるヤギの角が描かれ、マリーの将来に栄光と幸運が訪れることの予兆となっており、ライオンは権力と精神力の象徴となっています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「公女の教育」

『公女の教育』にはマリーが勉強する姿が描かれています。

マリーの教育を担当しているのはアポロン、ミネルヴァ、メルクリウスの3柱の神々である。アポロンは芸術、ミネルヴァは知恵をつかさどる神で、メルクリウスは神々の伝令であり、巧みに言葉を操る雄弁さで知られる神です。神々からマリーへの贈り物である杖カドゥケウスを差し出すメルクリウスが極めて印象的に描かれています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「アンリ4世へのマリーの肖像画の贈呈」

絵姿のマリーに一目惚れするアンリ4世が描かれています。

愛の神キューピッドがアンリ4世に付き従い、結婚の神ヒュメナイオスが、マリーの絵姿を未来の夫でフランス王たるアンリ4世に紹介しています。画面上部には雲に乗ってアンリ4世を見下ろすユピテルとユノがこの結婚を祝福する様子が描かれています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式」

1600年10月5日にフィレンツェの大聖堂で挙行されたフィレンツェ大公女マリーとフランス王アンリ4世の代理結婚式 の情景が描かれてい

マリーの叔父にあたるトスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチが代理として花婿の位置に立ち、マリーに指輪をはめています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「マルセイユ上陸」

イタリアからやってきた王妃マリーは、神や天使に祝福され、威風堂々とマルセイユに上陸します。

両手を開げて迎える青いマント(フランス王家の紋章あり)の人物は、国家としてのフランスの擬人像です。

画面下部には、海の精ネレイスや、海の神ネプトゥヌスらが身を乗りだしています。

実はこの作品の見所は、神々たちの、ルーベンス特有の豊満な肉体美ですね。特筆すべき出来事のないマリー・ド・メディシスの生涯を劇的に描くためには、ルーベンスと言えど神々たちの力を借りるしかなかったのですね。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「マリーとアンリ4世のリヨンでの対面」

代理結婚式後にマリーとアンリ4世が最初に出会ったときの情景を寓意画として描いています。

マリーとアンリ4世がローマ神話のユノとユピテルに仮託して表現されています。実際にはアンリ4世の愛人関係の影響で、マリーはリヨン到着から一週間近く経つ深夜までアンリ4世と会うことが出来ませんでした。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「フォンティーヌブローでの王子の誕生」

マリーが生んだ最初の王子であるルイ(後のフランス王ルイ13世)の誕生が描かれています。

 

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「摂政委譲」

アンリ4世が暗殺される少し前に、マリーがフランス摂政とドーファン(王太子)養育をアンリ4世から一任されたときの情景を描いています。

 

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「サン=ドニの戴冠」

パリのサン=ドニ大聖堂で戴冠するアンリ4世とマリーが描かれています。

それまで様々な神々から庇護を受けていたマリーの独り立ちを意味する絵画です。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言」

画面左に1610年5月14日に暗殺されたアンリ4世が昇天する様子が描かれ、画面右にアンリ4世の死去後まもなくフランスの摂政就任を宣言したマリーが描かれています。

 

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「神々の評議会」

マリーが新たな摂政としてフランス政権を引き継いだことを記念する作品で、王室の婚姻政策によってヨーロッパ諸国間に長きにわたる平和をもたらそうとしたことを表現した絵画です。

 

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「ユーリヒでの勝利」

マリーが摂政時代に経験した唯一の軍事行動を描いた作品で、ユーリヒでのフランス軍の勝利を主題としています。

 

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「スペイン国境での王女の交換」

1615年11月9日にマリーの息子ルイ13世とスペイン王女アナ、娘エリザベートとスペイン王太子フェリペとの間で挙行された二重結婚が描かれています。

この二重結婚はフランスとスペインの関係強化を意図した政略結婚であり、フランスとスペインの国境を流れるビダソア川の浮島で行われました。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「摂政マリーの至福」

マリーの摂政時代が優れたものだったことを示唆する作品です。

マリーは正義の女神に仮託して描かれ、周囲には古代神話の主要な神々が付き従っています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「ルイ13世の国王就任」

母から息子への政権移譲を抽象化、寓意化して描いた作品です。

ルイ13世が幼少だったため、摂政としてフランスの政権を司っていたマリーが、新たな王ルイ13世へと船の舵を渡しています。この船はフランス国土の象徴であり、舵を操るルイ13世がこれからのフランスを導いていくことを意味しています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「ブロワ城からの脱出」

幽閉されていたブロワ城からのマリーの脱出事件を描いています。

マリーは息子ルイ13世と対立するようになり、パリを追放されていました。

ルーベンスはマリーの気分を害することを危惧して、この絵画にマリーに対する否定的事物を一切描いていません。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「アングレームの条約」

母子の関係修復に向かって一歩目を踏み出した情景を描いた作品です。

神々の伝令メルクリウスが差し出すオリーヴの枝をにこやかに受け取るマリーが描かれています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「アンジェの平和」

1620年にマリーはルイ13世に対して反乱を起こしたが、レ・ポン=ド=セの戦いで敗北し、アンジェで不本意な休戦協定にサインさせられました。

敗北に屈することのないマリーの精神性が描かれています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「完全なる和解」

多頭のヒュドラに致命傷を与える擬人化された「神の法」と、それを見つめる「摂理」が画面前景に描かれています。

瀕死のヒュドラは、ルイ13世の寵臣で1621年に病死したリュイヌ公シャルル・ダルベールに擬せられています。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「真理の勝利」

ルイ13世とマリーとの和解が天国を背景にした純粋な寓意画として描かれています。

マリーとルイ13世は天界に浮かび、調和、相互理解の女神コンコルディアの象徴を手にして見つめ合っています。

画面下部には時の神サトゥルヌスが真理の女神ウェリタスを天国へと抱え上げ、真実と両者の和解を「白日の下にさらそうと」しています。

 


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