2019年4月のフランス紀行です。
リシュリュー翼地上階の「ピュジェの中庭」を鑑賞していきます。
17〜19世紀のフランス彫刻が飾られています。
1682年〜1685年の作品です。
ルイ14世の時代の仏蘭戦争の勝利を記念してつくられました。
敗戦四カ国(オランダ、スペイン、神聖ローマ帝国、ブランデンブルグ)を擬人化した像です。
1704年の作品です。
これは仏蘭戦争の勝利を記念して建てられた像の縮小版です。
敗者の奴隷たちを見下ろす王という構図なのか。
四体の捕虜のそばに、メダイヨンも飾られていました。
1686年の作品です。
1671年と1682年の間に制作されました。
ギリシアの闘技者ミロは、老いつつもその剛力を試そうと既に裂け目のある木の幹を引き裂こうとしました。
が、手が木の幹に挟まって抜けなくなり、獣に喰い殺されてしまいました。
1686年に制作されました。
1675年〜1687年の間に制作されました。
まさにマニエリスム彫刻で、何をしているのかわけわからん。
1710年に制作されました。
フランス王ルイ15世の母です。
この人自身は、フランスを襲った天然痘に罹患してわずか26歳で早逝しています。
1731年に制作されました。
美貌で知られた王でしたが、政治には無関心で寵姫ポンパドール夫人に任せっきりにしました。
1782年に制作されました。
1753年に制作されました。
1726年〜1730年に制作されました。
酔っ払いのおっさんのようです。
1767年に制作されました。
ルイ15世は愛妾のデュバリー夫人にこの作品を贈りました。
1778年に制作されました。
禁断の水浴をたまたま見てしまったアクタイオンに、ディアナは凄まじい報復をします。
鹿に変えられたアクタイオンは、自らの猟犬に食い殺されてしまうのです。
この作品もデュバリー夫人の屋敷に飾られていました。
1810年〜1818年に制作されました。
1827年に制作されました。
1817年に制作されました。
1824年に制作されました。
1834年に制作されました。
現在のマラソンの由来となる故事です。マラトンの戦いにおける勝利をギリシャ軍に伝えた伝令は、疲労のあまりそのまま息絶えます。
1830年に制作されました。
古代ローマ帝国、最大の奴隷反乱のリーダー。英雄的な姿で刻まれています。
折しも1830年、フランスは7月革命が勃発。この作品は政治的な意味を持って、世に送り出されました。
1821年に制作されました。
1837年に制作されました。
ギリシャの戦略家フィロポイメンは、戦いで腿を撃ち抜かれながらも矢を引き抜いて戦い続けようとします。
1867年に制作されました。
ルネサンス期のイタリアの叙事詩からつくられています。
なぜかおっさんが縛られていますね。
失恋の哀しさで発狂して暴れ出したため、友人らに縛り付けられたらしい。
彫刻は立体なので、どうしても写真の枚数が多くなってしまいます。
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