2019年8月のチャイナ(シナ)旅行記です。

満洲(現在はチャイナの東北部と呼ばれる)を中心に歴史巡りをしていきたいと思います。


まずは成田から中国南方航空を利用して、長春へと向かいます。

不思議なことに、チャイナって預け入れ荷物にマッチとライター厳禁なんですよね。

だいたい3時間ぐらいのフライトです。

 

中国南方航空。機内食は大したことなかった。

長春龍嘉国際空港に着きました。

 

 

空港で「地球の歩き方」を持ってると捕まるらしい!マジか。

マジでした!

 

 

結構冷涼な気候ですね。札幌より北にあるからね。

長春吉林省の省都です。

意外に歴史は浅く、19世紀になってから清朝によって開発されました。

本格的な発展を遂げたのは、1932年に満洲国が建国され、その首都となってからです。当時は「新京」と名付けられ、日本資本によって計画的に都市づくりがなされました。

現在の長春では、現代的な建築だけでなく、往年の満洲帝都の繁栄を思わせる古い街並みを見ることが出来ます。

 

いかにも誰も使ってなさそうなビル街。チャイナの各都市の駅付近にけっこう多いですね。

まさにバブルの残骸。

吉林省でも有名な東北師範大学の附属中学校です。

 

 

偽満洲国司法部旧趾です。現在の中共では、満洲国の歴史を黒歴史として、すべてに「」の枕詞をつけます。

もうだいぶ夕暮れてきたなあ。

 

これが司法部の昔の姿。21世紀に入っても日本時代の建築がしっかり残っています。

 

 

偽満洲国国務院旧址です。

国務院とは満洲国の行政機関でした。まあ、内閣というところか。

ここに国務総理というただ一人の国務大臣がいて、日本人の総務長官とともに行政を司りました。満州国の行政の実務は、実際のところ日本人官僚たちによって進められていました。

1936年竣工ということは、日本の国会議事堂と一緒の年ですね。どおりで似てる!

左サイドには岸信介の執務室があったそうです。戦後、日本がなぜ急速に復興できたかというと、満洲国でいっぺん国づくりを経験していて、それが生きたのだと思います。岸ら優秀な行政官たちは、近代国家形成のノウハウを知っていたんですね。

この銅像のおっさんは、カナダ人の共産主義者の医師ノーマン・ベチューンとかいう人だそうです。

調べてみたら第二次大戦中に、シナ共産党の本拠地延安にわたり医療行為に従事したとか。毛沢東はベチューンに感謝し、各地に銅像を作らせたみたいです。

 

実に立派なつくりですね。

現在は吉林大学や一部博物館として利用されているとか。

これが在りし日の国務院です。

 

 

旧関東軍司令部です。関東軍とは満洲の日本陸軍。関東軍主導で満洲事変が起こされ、満洲国建国の原動力となりました。

日本のお城みたいですね!大陸にはなんか合わない感じw

まあ日本の武人っぽくていいけど。

今は共産党吉林省委員会として使われているとか。

車窓からさっと通り過ぎてしまいましたが、実は正面からじっくり撮影してると、歩哨が飛んできて注意されるらしい。党の施設だからか。怖いね。

 

在りし日の関東軍司令部です。

 

 

旧関東軍司令官邸ですね。

 

このレンガ造りは立派ですね。

 

 

 

晩飯は長白料理です。

中華では回転寿司ならぬ回転料理で、ぐるぐる回して好きなものを食べていきます。

 

長春ではホテルらしからぬ外装のホテルに泊まりました。

中身はわりかしまともだった。

テレビは大抵こんなのばっかりw 打倒日帝か米帝か。

たいてい共産党をかっこいいヒーローのように描いてます。実際は支那事変の時には共産党は力を温存して、あまり日帝wとは対決していません。対日戦の後に必ずやってくる国民党との対決に備えていたと言われます。国共内戦こそが、シナ共産党にとっては本戦だったのです。

やっとCMになって女性がw 安心したよ。

字幕が出るのは、チャイナが多言語国家だから。北京語広東語上海語などが主な言語ですね。北京語が普通話(共通語)とされます。各方言はなんと文法すら一致せず、会話はほとんど通じないが、文字(漢字)は全国共通なので字幕を出してるんですね。

困ったのはこれですね。ネット環境が規制されてます。SNS、Gメール・・何も使えない。

ニュースサイトも繋がりませんでしたよ。

 


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