2015年夏の四国旅行記です。

 

愛媛県の県都・松山市の観光を続けていきます。

松山城周辺を散策していきます。

萬翠荘(ばんすいそう)にやってきました。

国指定の重要文化財になっています。

 

愛松亭」跡とあります。愛松亭とは、夏目漱石が旧制松山中学校の英語教師として赴任した際に、下宿したところ。つまり「坊っちゃん」の舞台なんですね。

漱石の書簡が碑文になってます。愛松亭から東京の恩師に宛てて着任の報告をした書簡だそうです。

さあ、萬翠荘!見えてきました。

萬翠荘は、1922年に旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。

陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風建築で、当時の名士たちの社交の場として利用されました。

さあ、入館していきます。

踊り場のステンドグラスは、久松定謨がフランス・サンシール陸軍士官学校に入校するための渡航をイメージしているとも考えられます。この時、松山藩出身の陸軍士官・秋山好古が随行しています。

 

 

 

 

これが久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵。当時の帝国陸軍の主流派はドイツに留学していましたが、松山藩は戊辰戦争の「賊軍」とされたため、久松伯はフランスに行くしかなかったようです。

お!この肖像は?

昭和天皇ですね。

こちらは若き日の昭和天皇。摂政宮時代ですね。1922年の松山訪問の際、こちらに滞在されたそうです。

バルコニーに出てみました。

 

さてそのまま坂の上の雲ミュージアムの裏口に入れます。

明治陸軍の軍馬の高さを体験できます。久松定謨のフランス留学に随行した秋山好古は、主流派から外れた形になりましたが、どっこいフランスの優秀な騎兵システムを学び、帰国後は騎兵の第一人者となります。

広々とした館内をスロープでまわっていきます。モダンですねえ。安藤忠雄の設計らしい。

??これは「坂の上の雲」が連載されていた当時の産経新聞。

すごい量ですね。文春文庫8冊分だからなあ。

正岡子規の系図です。「坂の上の雲」には序盤、子規も準主役で登場します。

こちらは秋山家の系図です。

秋山真之と正岡子規は学友。松山中学校、東大予備門でともに学び、一時は同居していたこともあります。

「のぼさん(正岡昇)」「じゅんさん(秋山淳五郎)」の仲だったんですね。

また出たw のぼさんの野球姿。

愛媛県庁です。

松山城二ノ丸史跡庭園にやって来ました。

 

 

 

 

 

林泉庭の上に「勝山亭」があります。

 

 

 

 

次に松山市立子規記念博物館にやって来ました。

34歳の若さで早世した子規の生涯を、様々な展示で紹介します。

 

 

 

愚陀佛庵です。夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任した際、下宿していた上野家の離れを当時の雰囲気そのままに復元したものです。

正岡子規が療養のために居候し、1階に正岡子規、2階に夏目漱石が住み、52日間共に過ごし、俳句づくりに没頭しました。

もともとは萬翠荘の裏手に復元されていましたが、2010年に松山を襲った記録的豪雨で全壊してしまいました。

今は1階の一部が、子規記念博物館に復元されているのみ。

 

これが全壊前の「愚陀仏庵」です。

松山もなかなか見どころたっぷりの街でしたね。

坊っちゃん列車です。

 


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