2019年4月のフランス紀行です。

 

アンヴァリッド(廃兵院) L'hôtel des Invalides

 

ロダン美術館のすぐそばのアンヴァリッド(廃兵院)を訪問しました。

もともとはルイ14世の時代に、傷病兵を看護する施設として建造されました。だから「廃兵院」なんですね。

 

軍人がセキュリティをしていました。今現在も傷病兵や傷痍軍人に暮らしているそうで、軍が管理に関与しているのですかね。

フランス革命の発端となった「バスティーユ監獄」襲撃の前に、パリの民衆が襲ったのがアンヴァリッドでした。

パリの民衆はこのアンヴァリッドで武器を奪い、その後に弾薬を求めてバスティーユに向かいました。

 

 

 

19世紀になってルイ・フィリップ王朝の時に、ドーム教会内に地下墓所がもうけられ、ナポレオンの棺が置かれました。

 

 

ドームの天井です。

 

 

中央祭壇です。

まるでサン・ピエトロ大聖堂です。

 

 

フェルディナン・フォッシュ元帥の墓

第一次大戦時のフランス軍元帥です。

フォッシュ元帥は、名言を多く残した猛将として知られます。

 

我が軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能。
状況は最高、これより反撃する。
(マルヌ会戦において)

 

これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ。(ヴェルサイユ条約をさして)

 

フォッシュの予言通り、ヴェルサイユ調印の20年後、独仏は再び開戦することになります。

 

 

 

 

 

この教会では、ナポレオン関係者のみならず、フランス軍に貢献した人物がまつられています。

 

ユベール・リヨテ元帥の墓

19〜20世紀のフランス陸軍元帥ユベール・リヨテの棺らしい。

 

 

 

 

ヴォーヴァンの墓

ルイ14世に仕えた軍人兼建築家のヴォーヴァンの墓です。

ヴォーヴァンは築城の名手として知られたそうです。函館五稜郭で知られる星形要塞の元を考案した人だそうな。

やたら艶かしい女神に囲まれて眠ります。

女神というよりクラブのママか?

 

ジョゼフ・ボナパルトの墓

ジョゼフはナポレオン1世の兄です。

弟の七光りで、ナポリ王、スペイン王(ホセ一世)になりましたが、ナポレオン没落後は亡命しました。

 

さあ、ナポレオンの地下墓所が見えてきました。

地下墓所へ降りていきます。

 

棺が見えてきました。

地下回廊は、ナポレオンの戦いを刻むレリーフがあります。

スペイン戦線とロシア遠征さえしなければ、没落せずに済んだろうに。

 

ナポレオン・ボナパルトの墓

ここに英雄ナポレオンが眠るんですねえ。

 

 

■ナポレオン・ボナパルト
ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769年〜1821年)または省略してナポレオンは、革命期のフランスの皇帝・革命家である。ナポレオン1世としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。

フランス革命後の混乱を収拾して軍事独裁政権を樹立した。大陸軍(グランダルメ)と名づけた巨大な軍隊を築き上げてナポレオン戦争を引き起こし、幾多の勝利と婚姻政策によって、イギリス、ロシア、オスマン帝国の領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いたが、最終的に対仏大同盟との戦いに敗北し、流刑地のイギリス領セントヘレナにて没した。

 

 

 

 

ナポレオンは、1821年に大西洋の孤島セントヘレナ島で死去しました。その後、1840年にその棺はフランスに帰還し、今はここアンヴァリッドに眠ります。

 

ナポレオン二世の墓

ナポレオン二世の像がありました。ナポレオンと、ハプスブルグの皇后マリー・ルイーズの間の子です。

ナポレオン二世は、ナポレオンが一時権力を取り戻した時に、2週間だけフランス皇帝になりました。再没落後はハプスブルグ家に引き取られ、「ライヒシュタット公」として飼い殺し状態に。父に憧れながらも病魔に取り憑かれ、21歳の若さで死去しました。

 

ナポレオン二世は、後にハプスブルグ家の最高権力者となるゾフィー大公妃(エリザベートをいじめた人)とは、極めて仲が良く、不倫関係にあったと疑われてさえいるので、長生きすればひと花咲かすことができたかも。

 

アンヴァリッドの北の方には軍事博物館もあります。行かなかったけど。


ブログを読んでくださり、ありがとうございます!ポチッと応援よろしくお願いします! にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村