2019年4月のフランス紀行です。
リシュリュー翼の2階を見学していきます。ここでは北方絵画を見ていきます。
1452年ごろの作品です。ファン・デル・ウェイデンは初期フランドル派の画家です。
この作品は三連祭壇画となっています。中央パネルに描かれているのはキリストと、聖母マリア、福音書記者ヨハネです。
左パネルには描かれているのは洗礼者ヨハネ。
右パネルに描かれているのはマグダラのマリア。このマグダラのマリアは、実は注文主のカトリーヌ・ド・ブラバンという未亡人女性を描いているのではと推測されています。
1435年ごろの作品です。ブルゴーニュ公国宰相ロラン の依頼で描かれました。画面左側がロラン自身、右側に聖母子が描かれています。
宰相ロランと聖母子は別次元にいるように描かれています。ロランの側の背景には、民家がひしめいて世俗の世界を描いていると言われます。
背景のバルコニーの人物たちは、ファン・エイク兄弟では?という説もあります。
聖母子側の背景は教会の塔があり、聖なる世界を表していると言われます。
この辺りはゲルマン語圏の絵画です。ドイツ・ルネッサンスの名作があります。
1529年の作品です。
細身で顔と胸が小さい女性が、クラーナハの特徴ですね。官能的に理想化された裸婦像を描くアリバイ作りとしてクラーナハは、神話に基づく主題を上手に活用しました。背景の細密描写はさすが北方の伝統的技法が用いられています。
1531年の作品です。
クラーナハの傑作であるこの作品は、長く個人蔵でしたが、ルーヴルは2009年に100万ユーロの寄付金を集め、購入に成功しました。
1539年〜1542年頃の作品です。
クラーナハが60歳を越えてからの作品です。クラーナハお得意の細身の美少女像です。
1531年の作品です。
1493年の作品です。
これはデューラー22歳の時の(おそらく理想化された)自画像です。画家が自分自身のみを主題とした絵画は、この作品が最初ではないかといわれています。
これは修行先から、父が決めた婚約者にあてて送ったものとされています。手に持つアザミは男性の誠実を象徴し、洗練された衣装は愛を表しているといわれています。
1514年の作品です。
マサイスは、15世紀末から商都アントウェルペンを拠点に活躍した画家です。左側の男は金貨を測っているところ。右側で聖書を手にする女性は彼の妻でしょうが、金貨が気になって気が散っています。
ここには道徳的教訓も含まれています。北方ヨーロッパは富裕市民階層の登場により、こういった風俗画が普及していきます。
1562年の作品です。
ヤン・マサイスはクエンティン・マサイスの息子で、16世紀のアントウェルペンで活躍した画家です。ヤンはフォンテーヌブロー派のような美しい裸体画を得意としました。
旧約聖書のダビデ王による人妻バテシバの強奪の話を主題としています。
1530年〜1532年頃の作品です。
初期フランドル派に分類されるイタリア人画家ですが、詳しい記録は残っていません。
1562年の作品です。
ルーベンスとの合作です。人物をルーベンス、花輪をブリューゲルと自分の得意分野を担当しています。
1609年〜1616年頃の作品です。
フランドル人画家プルピュスは、17世紀初頭のフランスの宮廷画家でした。この作品は、アンリ4世の妻であり、ルイ13世の母に当たるマリー・ド・メディシス王妃を描いています。高さ3メートル以上のルーヴル最大の肖像画だそうです。
王家の紋章の百合の花の衣装、35カラットのダイヤの王冠を着けての肖像画です。
この部屋は今のアポロンのギャラリーにありましたが、1661年焼失してしまい、宮殿の室内装飾の歴史を示す貴重な遺品だそうです。
1635年頃の作品です。
ヴァン・ダイクはバロック期のフランドル出身の画家で、ルーベンスの弟子として腕を磨きます。後にイングランドの宮廷画家として名を上げます。歴史的に著名なチャールズ1世の肖像画は、上品でくつろいだ雰囲気の中にも君主としての威厳を備えて描かれていると評価されています。
チャールズ1世は美術への高い審美眼を持ち、膨大なコレクションを収集しましたが、この14年後に議会と対立し、「ピューリタン革命」で処刑されることになります。この作品を約100年後に買い取ったのが、フランスのルイ16世です。彼はチャールズ1世の生涯を研究し、同じ目に合わないよう民衆に寛容に振舞いましたが、結局はフランス革命で同じ運命になってしまいます。
1617年〜1621年頃の作品です。
1633年〜1634年頃の作品です。
1637年の作品です。
1630年〜1632年頃の作品です。
1630年〜1632年頃の作品です。
1629年〜1632年頃の作品です。
1630年〜1635年頃の作品です。
ヨルダーンスもルーベンス、ヴァン・ダイク同様、アントウェルペン派を代表する画家です。
1645年〜1655年頃の作品です。
1640年頃の作品です。
ヤン・ダヴィス・デ・へームのこの作品は、17世紀初頭にアントウェルペンで描かれた、ヘームの初期の静物画です。
卓上には、料理や果物、豪華なガラスの器や食器が積み重なっていて乱雑な印象を与えますが、計算された構図と、世の儚さを表す道徳的教訓を含んでいると言われます。
1624年〜1626年頃の作品です。
フランス・ハルスは、カラヴァッジョやルーベンスに影響を受け、17世紀オランダ絵画黄金期に活躍した画家です。
この作品は一人の若い男がリュートを陽気に奏でている風俗画です。新興国オランダ庶民の生命力が感じられます。
1628年〜1630年頃の作品です。
筆跡を残す大胆なタッチのハルスは、19世紀のマネやクールベの先駆者としても評価されています。
1637年の作品です。
17世紀オランダで流行したモノクローム・バンケッチェ(モノクローム風の晩餐図)の画家です。非常に細密で写実的な描写を得意としました。
倒れたグラスが、この世の儚さを表すという、道徳的教訓を含んでいると言われます。
1660年の作品です。
バロック期のオランダの大家・レンブラントは多数の自画像を残しています。これは晩年の自画像です。栄光と転落を知った男の、なんとも言えない味わいが出ています。多数描かれているということは、自画像に需要があったんでしょうね。落ちぶれたオッさんとはいえ、偉大な画家だからでしょうか。
1633年の作品です。
1634年〜1640年の作品です。
1654年の作品です。
レンブラントの円熟期に描かれ、最高傑作の一つとされます。『旧約聖書』における、イスラエル王ダビデと人妻バテシバとのエピソードを描いた作品です。ダヴィデからの手紙を持つバテシバのモデルは、レンブラントの内縁の妻・ヘンドリッキエと言われています。
女にだらしなかったと言われ、私生活は駄目男と化したレンブラントが、もっとも愛した女性と思われます。
1633年の作品です。
1640年〜1650年頃の作品です。
1661年の作品です。
1624年の作品です。
17世紀のオランダの人気作家です。
ルーヴルにフェルメールは2点あります。が、「レースを編む女」は貸し出し中のためか、ありませんでした。
若い女性がレース編みをしている様子を描いた作品。女性の手元にだけピントが合って、他はぼやけています。フェルメールの晩年の作品で、フェルメール絵画としてはもっとも小さな作品です。
1668年頃の作品です。
学者の肖像は17世紀のオランダ絵画で好まれたモチーフで、フェルメールの絵画にもこの「天文学者」と「地理学者」の、二点が現存しています。
フェルメール一流の静謐な光の中で、日本風の着物(ドテラ?)を着た学者が、天球儀に触る一瞬を捉えています。
1660年代の作品と推定されます。
画面の3分の2を占める巨大な雲と空が印象的です。下の3分の1は、画家の琴線に触れた自然風景の描写を上手く組み合わせています。
1670年頃の作品と推定されます。
雲の描写もうまいけど、海の猛威を描かせてもすごい人ですね。荒れ狂う波がダイナミックです。
1649年〜1650年頃の作品と推定されます。