2019年3月のイタリア・フィレンツェの旅行記です。

 

なんといきなりラテンっぽいアバウトさを感じさせる出来事に直面しました。

イタリア政府は「2019年3月5日~10日を、文化週間としてイタリア全土の国立美術館・博物館を無料とする」と発表したのです。私は6日に来てますから、直撃を受けることになりました。

 

こんな影響の大きい決定を、わずか2週間ぐらい前に、紙っぺら一枚、HPにさらっと掲載して、それで許されると思っている。なんという奴らだw

 

 

ウフィツィ美術館アカデミア美術館など人気スポットは、常に大行列で大混雑。そういう事態を避けるために、ミュージアムパス(フィレンツェカード)を事前購入して、優先入場できるようにする旅行者が多いわけです。

ところが、無料となれば普段にも増しての大混雑が予想されます。かわいそうなのは高い金を出して、フィレンツェカードを買ってしまった人。無料にされた上に、優先入場の権利も消滅してしまって並ばなければならない。

 

 

アカデミア美術館 La Galleria dell'Accademia a Firenze

 で、何としてもアカデミア美術館に入館できるよう、朝7時そこそこに並び始めました。(開館は8時15分)しかし世界的作品がある美術館なのに、なんか普通の建築物ですねw

なんとまだ誰もいませんでしたw

文化週間自体が唐突な発表だったらしいので、みんな知らないのかもしれない。とにかく無事早めの入館ができそうです。

さあ、入館していきます。今回はNOT RESERVEDの入り口しか設置されません。

 

これがチケットです。やっぱりダヴィデがアカデミアの目玉です。というより殆どみんなダヴィデだけが目的です。

 

ダヴィデ巡礼の観光客が押し寄せるため、アカデミア美術館はウフィツィ美術館に次いでイタリアで2番目の入館者を誇ります。(年間だいたい150万人来場するらしい)

 

 

ジャンボローニャ「サビニの女たちの略奪」

 

1582年の作品です。

三人の男女のダイナミックなからみあいは迫力ある。マニエリスム彫刻の大傑作ですね。

これと同じ大理石作品が、後に訪れるシニョーリア広場のロッジアにもあります。

これは石膏模型ですが、ジャンボローニャ自身がつくってるので、オリジナルです。

ローマのボルゲーゼ美術館にあるベルニーニの作品に影響を与えてるでしょうねえ。

 

アカデミア美術館といえばやはりミケランジェロですね。いよいよミケランジェロ・ルームに突撃していきます。

 

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ「ミケランジェロの胸像」

 

1564〜66年頃の作品です。「神のごとき」と言われた彫刻家・画家・建築家(本人はあくまで「彫刻家が本職」と主張し続けた)の、ミケランジェロのデスマスクから作成されています。

作者のヴォルテッラは晩年のミケランジェロと親しく交わっていたことで知られます。ミケの死後、ヴァチカン「最後の審判」に描かれた性器を覆う腰布を描かされたのもヴォルテッラです。おかげでヴォルテッラは「ズボン作り」と揶揄されることになります。

 

ミケランジェロは、若いころケンカでぶん殴られて少し鼻が曲がっているんですよね。大芸術家らしい、傲岸不遜なところがあったようです。

 

 

ミケランジェロ・ブオナローティ
(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、1475〜1564)イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家である。ミケランジェロの彫刻で最も有名と思われる『ピエタ』と『ダヴィデ像』は、どちらもミケランジェロが20歳代のときの作品である。また、ミケランジェロ自身は絵画作品を軽視していたが、西洋美術界に非常に大きな影響を与えた2点のフレスコ画、システィーナ礼拝堂の『システィーナ礼拝堂天井画』と祭壇壁画『最後の審判』を描いている。

 

「ダヴィデ像」が見える!が、それはとっておいて、手前の作品もミケランジェロのものです。

 

ローマ法王ユリウス二世の墓廟を飾るために作成していた「奴隷像」が未完のまま設置されています。(完成体2体はルーヴル美術館にある)

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「若い奴隷」

 

1525〜30年頃の作品です。これは比較的制作が進んでましたね。

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「髭の奴隷」

 

奴隷像はすべて苦しみを表現しており、そこから逃れようとする姿を描いているそうです。

 

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「目覚める奴隷」

 

ミケランジェロ自身が言うように、石の中から生命を持って生まれてくるようです。

奴隷像シリーズは、気まぐれなユリウス二世の心変わりにより中断され、途中で放棄されてしまいます。ユリウス二世の思いつきの行動にミケは振り回され続け、何度も逃走しています。結局ユリウス二世霊廟の完成には40年もの時を要することになってしまいました。でも、その気まぐれのおかげでシスティーナ礼拝堂の天井画が描かれることになるのです。

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「アトラス像」

 

1525〜30年頃の作品です。

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「聖マタイ像」

 


1530年頃の作品です。ドゥオーモのファサードを飾るために作られたそうです。

 

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「パレストリーナのピエタ」

 

1555年頃の作品です。ミケのピエタといえば、ヴァチカンにあるものが有名ですが、それ以外にも生涯のテーマとしてピエタを作り続けています。もっともこのピエタは贋作説もあるそうです。

 

さあ、いよいよ世界で最も有名な彫刻作品「ダヴィデ像」です。

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「ダヴィデ像」

 

教科書で見た通り、4メートル以上の巨像。これを見にきたんです。

1501〜1504年に作成されました。なんとミケ26〜29歳の作品です。

ヴァチカンの「ピエタ」で、若くして名声を不動のものにしたミケ。フィレンツェ政府は、フィレンツェ共和国の「自由と正義の精神」の象徴として、ミケに大理石彫刻を依頼しました。

超絶技巧の細部を見ていきましょう。

実は瞳はハート型になってるんですよね。下からだとわからないんですが。今まさに巨人ゴリアテに打ちかからんとする闘志に燃えています。

ダヴィデ像は古くは老人として作られることが多かったそうです。それが15世紀になるとドナテッロらによって、少年として作られるようになります。

ミケはさらに考えを変化させ、究極の肉体美を持つ青年としてダヴィデを完成させました。

 

ダヴィデはユダヤ人なのに、なぜかこの作品は割礼されてません。きっとミケランジェロは古代ギリシア彫刻に倣ったのでしょう。

 

この傑作をどこに設置するかで大議論になりました。ミケより20歳以上年上のレオナルド・ダ・ヴィンチは政庁舎前のロッジャに置くことを主張したそうです。

しかしミケは「わかってねえな、爺さん。ダヴィデは太陽の下におかないと意味ないの」と政庁舎前の正面玄関前に置くことを主張。1504年から1873年までそこに置かれていました。

 

この血管がすごい。

 

 

 

フィレンツェだけでもダヴィデのレプリカは2体立ってますが、オリジナルはこれです。


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