2018年5月九州旅行2日目は、宮崎高千穂峡を散策して、いったん熊本駅に戻りました。

 

その後、夕方から九州新幹線に乗って、一気に鹿児島入りしました。

 

大河ドラマ特需に盛り上がる鹿児島市にやってきました。

大河ドラマ西郷どんが話題です。一応見てましたけどね。途中で挫折したけど、この時期はまだ見てました。「篤姫」も途中で挫折したし。

私的には昔やってた翔ぶが如くの方が硬派で好きなんですが。あれは酒井法子氏が出てたから再放送は難しいのですかね?

 

 

九州新幹線も全線開通しました。座席が木目で温かみがありますね。

 

駅の広告で「西郷どん」がいきなりお迎えだ。

 おじゃったもんせ!(薩摩弁で「ようこそいらっしゃいませ」の意)

 

2日目は鹿児島中央駅周辺のホテルに宿泊、高千穂バス移動の疲れを癒します。

 

 

さて九州旅行3日目の朝が明けました。今日は鹿児島市内を歴史巡りしていきます。

 

鹿児島中央駅の新たな象徴、観覧車の「アミュラン」が見えますね!

さすが南九州最大の都会だ。

 

中央駅前のもう一つの象徴「若き薩摩の群像」です。

1865年、藩命により鎖国の国禁を犯して英国に密留学?した19名の薩摩藩士の銅像です。

 

有名どころでは、松木弘安(のちの寺島宗則、留学前にも薩英戦争の薩藩代表として戦後処理を見事にやってのけた。維新後は外相として条約改正に尽力)。

 

森有礼(初代文相として教育改革を断行。帝國憲法発布の当日に右翼により刺殺された)。

 

五代友厚(この留学の中心人物。維新後は日本経済近代化に尽力)。・・あたりでしょうか。

 

 

さあ、では早速サクッと観光に行ってきます。観光には「カゴシマシティビュー」の1日乗車券(600円)乗り放題を活用します。

市バスや市電も乗り放題みたいで使い手ありますね。

 

まずは西郷隆盛銅像発見しました!

1937年につくられました。5メートル以上あるらしい。

上野の犬の散歩像が有名ですが、さすが地元では陸軍大将の正装ですね。

しかも帝国陸軍建軍当初の、ただ一人の大将です。

 西郷さんと記念撮影も出来ルンです!

 

一方、西郷銅像の反対側にひっそりたたずむのは、薩摩藩家老小松帯刀像です。若くして死んでしまったため、有名ではないですが、なかなかの人物だったそうです。大河ドラマ「篤姫」では準主役級の扱いでしたね。

 

 

 

 西郷銅像から左手に数分歩くと照国神社に着きました。照国神社は、薩摩藩最大の名君とも言われ、西郷隆盛の師でもある島津斉彬を御祭神として祀ります。

鳥居はとにかくでかいです。

 

島津斉彬は、頻発する外国船の来航に危機意識を覚え、いち早く薩摩藩の近代化に着手しました。大河ドラマでは「翔ぶが如く」加山雄三「篤姫」高橋英樹「西郷どん」では渡辺謙が演じてますね。いずれもいい役者です。

斉彬は幕政改革を要求しようと、薩軍を率いて上洛寸前に急死してしまいました(薩摩東征)。あまりの突然死のために、毒殺説があるくらいです。実は私もそう思ってる。守旧派にやられたんじゃないか。江戸時代は毒殺は珍しくなく、お家騒動のたびに行われていたし、軍事調練をやるくらい元気だったのがあっという間に死んでしまったのはおかしい。

島津斉彬は本当にやりたかったことの多くを、やり残して逝ってしまった。その遺志を西郷らが継いでいくわけです。

にもかかわらず江戸時代通じて最大の名君と評価されるわけだから、どれだけ偉かったかということですね。

神社内には銅像が立ちます。

「順聖院様」と呼ばれ、今も尊敬されています。

 照国神社には資料館もあります。

 

斉彬についての様々な資料が展示されています。

斉彬の書状です。

斉彬のローマ字日記ですね。さすが蘭璧大名だw

 

照国神社の横には探勝園という公園があります。斉彬の急死後、次の藩主(最後の薩摩藩主)となったのが島津久光の実子・島津忠義でした。探勝園には忠義の銅像があります。

維新後は鹿児島知藩事となりました。今上天皇陛下の曽祖父にあたります。

 父・久光の命に従い、生涯髷を切らなかったそうです。

 

 

探勝園には、斉彬の弟・島津久光の銅像があります。

久光は藩主の忠義の実父でもあり、幕末の藩政を実質的な最高権力者として指揮しました。大河ドラマでは「翔ぶが如く」で高橋英樹が演じてますね。高橋英樹は「篤姫」の斉彬よりも、久光役の方が断然良かったですよ。

 

久光は斉彬の遺志を継ぎ、文久年間に薩軍1000名を率いて上洛しましたが、西郷との衝突寺田屋上意討ち事件生麦事件(英国人を殺傷して薩英戦争の原因となった)など、トラブルの方が多かった印象があります。

久光のエピソードで一番面白かったのは、維新後に(大久保・西郷ら主導で)廃藩置県が断行された時、怒りを爆発させて、一晩中花火を打ち上げ続けるよう命じたという話ですね。

 

 

 

西郷銅像から右手に進むと、鹿児島城(鶴丸城)石垣があります。

屋形が鶴が翼を広げた姿に似ていることから、「鶴丸城」の愛称で親しまれています。

そういえば鹿児島の名門県立高校の名前も「鶴丸高校」ですね。

2020年を目標に、明治初年に焼失した御楼門の復元再建が計画されているらしい。

 

石垣に凄まじい弾痕が!!西南戦争の時の、政府軍との激戦を物語っています。

 

城内は「黎明館」という博物館になってます。(入らなかったけど)

 

 

鶴丸城内には、天璋院篤姫の銅像がありました。

大河ドラマでは「翔ぶが如く」で藤純子(これは失礼ながら、ちょっととうが立ってた)、「篤姫」では宮崎あおい、「西郷どん」では北川景子が演じてますね。その誰にも似ておらず、現存する写真に忠実な銅像ですね。

篤姫は斉彬の命を受け徳川13代将軍・家定の正室となります。病弱だった家定が病死した後も、大奥内で影響を持ち続け、戊辰戦争時には江戸城包囲戦を回避するために尽力しました。

 

鶴丸城内には、旧制七高造士館を懐かしむ銅像もあった。旧制高校のバンカラな雰囲気がよく出ていますね。

 

 

 

鶴丸城そばに、「私学校」跡があります。

西郷は征韓論争に敗れ、明治政府を辞職したのち、鹿児島に帰郷しました。すると西郷を慕う若者たちが集まり、私学校が開かれます。私学校は規模を拡大し、次第に不平士族の温床となります。西南戦争の火種となってしまいます。

 

私学校跡にも、西南戦争弾痕が見えますね。

 

 

 

少し歩くと「西郷隆盛終焉の地」がありました。

西南戦争の最後、傷を負った西郷は別府晋介「晋どん、もうここらでよか」と介錯を命じ、自決しました。

 

不世出の英雄の終焉の地ですね。

 

 

 

城山入り口に「薩摩義士碑」がありました。

薩摩藩は、江戸時代中期の宝暦年間に幕府の命令によって、木曽三川の治水工事をやらされました。(宝暦治水事件)

これが過酷で大変な工事で、80名以上の犠牲者が出たという。(病死、事故死、幕府への抗議の意味も込めた自害など)

一番高い碑が、家老の平田靫負(ひらたゆきえ)です。平田靫負も工事の終了後、多くの犠牲の責任を取って自害しています。

濃尾平野の人々は、命がけで難工事に挑んだ薩摩藩士への感謝を忘れず、今も鹿児島と岐阜は友好県として交流が続いています。

さあ次回はいよいよ城山に登ります。


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