〇明治天皇の御不礼発表と同時に博文館が談話を集め、一部を改変して発行したものと思われます。当時の新聞はある程度不正確なものでも平気で記事にしています。この中でいくつか談話を書いていくことにします。
〇一部言葉を変えて表記しています。
〇木村氏の母は明治天皇の乳母。木村氏は御幼少時の遊びの
相手をされた人。
●御手習いは非常にお好みのように拝したるが、それとともにそれとともに落書きなども盛んに遊ばしたり。また習字がお気に召さぬ折には、墨黒々筆を取り上げて、障子、襖などに所嫌わず棒を引き面白がらせ給うことも珍しからず。
●ある時香川景樹の高弟にて四天王の一人たる八十八の翁赤尾可官が七夕季詠とて短冊に、
「彦ほしのけふの船出は初尾花 まねくきみとはかねてちぎりし」
としたためしを献上したれば、陛下は直ちに手に取り給い、傍らの筆を取り寄せてペタペタと墨を塗らせ給いたるのみならず、裏打ち返して「齢八十八之謹」とある上をまたもやペタペタと塗らせ給いたるには、並み居る人々なんと
申し上げてよきにやうろたえたりにぞ。
●その時陛下は「らい」を顧みられて、「この短冊はらい公に取らすぞ」と仰せられて投げやり給えるを、今なお我が家の家宝としてかたじけなく保存しあり。
〇香川景樹 1768-1843 江戸後期の家人として一派を成した。
〇赤尾可官 不祥

