〇雑誌心は平凡社発行。武者小路実篤、安倍能生、辰野隆などの当時としてはハイソサエティの人々が執筆しています。私は20年くらい前神田の古書会館で見つけてから当時の世相を知る面白い雑誌と認識しています。

 

〇本号は昭和29年6月号。副題として「満州事変より終戦での記録資料として」とあります。戦争に至り大虐殺を行った世相の変化を扱っています。この時期はまだ第二次世界大戦を研究として取り扱う前の時期です。そのため現在では誤りと思うところもありますが、そのまま記載します。

一部わかりやすくするために書き直しています。

 

●出席者

・野村秀雄  元朝日新聞編集長  ・波多野乾一  産業経済新聞論説委員

・高田元三郎 元毎日新聞編集総長 ・有竹修二   前時事新報編集局長

・嘉治隆一  政治評論家     ・長与善郎   作家

 

●張作霖の爆死事件軍の跋扈跳梁にまかす

・波多野 張作霖の爆死前後ですね。私は時事新報の特派委員で北京にいましたが、日本の公使に会ってから武官にあう。その武官の補佐官というのがたいそう会うんですがね。それが張作霖の乗用汽車は今日はどこにおるということを毎日いうんです。おかしなことをいうなこんなことをいうなこんなことでは新聞種にならんじゃないかと僕らは何の気なしに思っていた。そうしたらいよいよやったでしょう。翌日になるとやった。何で張作霖の汽車のことを毎日いうのかと思って変に考えていたが、これではハハァと思った。これは明白に計画的にやったもんだ。

〇東宮 東宮鉄男陸軍大尉 張作霖事件の実行者。

 

・高田 あの爆弾仕掛けは、精巧を極めたものを使ったんでしょうね。やったのは東宮というんですか、後に大佐となった。あれが大尉の時に―

 

・嘉治 命令者は河本大作で、奉天に入る皇姑屯で、満鉄と奉山線との交差する線の上に爆弾を取り付けて置いて、ちょうどその下を汽車が通った時にやつた。山海関で儀巍大佐が下りている。

 

・波多野 張作霖の顧問の儀巍も下りているし町野も下りている。

〇町野 町野武馬、退役軍人張作霖軍事顧問。

 

・有竹 ひどいもんだな。あれは。

 

・嘉治 だから満州の中国人は憤慨して、張学良以下みな蒋介石の下についた。

 

・波多野 僕は東京裁判の時、T大佐から聞いた。僕は中国共産党が日本に対して宣戦したという事実を立証してくれというんで、そのために東京裁判に引っ張り出されたが、そこへ行っていますと、Tがひょっくりやってきていろいろ話をしているうちに、満州事変の下手人を知っているかというから、僕は知りませんよといった。そしたら、あの時あそこにいた武官が何か町に行って苦力みたいなものを引っ張ってきて風呂に入れた。そして金をやってやらせた。これは気の毒だからいわないけれども、これが本当だよ、といっていた。だから明白に日本人が―

〇苦力 クーリー 単純労働者

 

・有竹 やらしておいて、殺しちゃったんだな。

 

・波多野 そうらしい。それからもう一つね、外務省がこれを知らなかったということは僕は立証しうる。僕はその頃外務省の出入りの記者だったから、白鳥情報部長と毎日会っている。そして白鳥はいつも電報を我々の前に放り出して、今日はこれだけだといって見せるんです。これを見ろ不都合なことを軍部がやっている。

それは撫順の報告なんだ。9月18日の未明を期して演習をやる。在郷軍人は全部集まれという招集状を在郷軍人会の会長が発している。君、柳条湖事件というものは、軍部がやったことは明白じゃないか、ちゃんともう撫順なんかではそういうことをやっているんだから、そして奉天まで在郷軍人会が行くことになっている。

軍部なんかというものは不都合なやつだ、と白鳥は言っていた。だから白鳥はあの時には軍部のいうことに不賛成であったんだ。ところがおかしいのは、二日ばかりたったら、ひっくりかえすように軍部のいうことを是認し始めた。

〇柳条湖事件 昭和6年9月18日に起こった軍事衝突。この事件から満州事変が始まった。

 

●張作霖爆死事件に付いては、戦後の中華民国要人の発言で、ソ連の指示があったという記録があります。陸軍将校は知らぬうちにソ連の諜報機関に関与されていた可能性があります。陸軍の領土拡張政策は着々と進みます。