〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●ことに居士唯一の嗜好物なる酒の通らぬことを聞し召して痛く御憫察あらせられ御料の和洋酒中最も清冽なるものを畏くも陛下が親しく御試飲あらせられて、これなれば通るかもしれぬと宣い、その杯もろとも下賜されしこと数回に及んだ。

 

●いまその御杯二個のうち洋杯は駿河の鉄舟寺に秘蔵し、和杯は全生庵に秘蔵している。かくのごとく聖上を始め奉り、家人門下生知己等のひとかたならぬ懸慮に対して、居士は勤めて医薬に親しんでおられた。しかし、見舞客を合わせて平生に倍する来客に一々表座敷に出て接見した。

 

●例のごとくこれを玄関まで送られ、また来客の余暇には布団で揮毫もやられる。大患とはいいながら横になことはなかった。そして三月三十日稽古始の祝宴中、回し飲みしていた大杯がはしなくも真っ二つにわれたので、一座変事に色を失った。

 

●居士は造ったものの壊れるのに何の不思議もないとて笑っていられた。が、家人及び門生等はこれより暗に危惧を懐くにいたった。その後は病勢一進一退の間にあって、その時は千葉氏に向かって

お医者さん 胃がん胃がんともうせども

    いかん(胃がん)なかにも よいこともある

と書き、いかがですと一笑された。

 

〇いまであれば、入院して医師の面会謝絶で家人以外は入れなかったものをと思われました。