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〇現存する色部長門追念碑。新潟市中央区関屋下川原地内
〇これまでいくつか、新潟市付近の戊辰戦争の記録について書いてきましたが、当年の生存者、斎藤巳三郎の回想を見つけましたので、これを書いていきます。
〇原文は旧漢字で慣用句、熟語等不明な部分がありましたのでいくつか書き直した部分があります。
●建碑に対する功労者
●色部長門追念碑の石材は水戸花崗岩で高さ一丈二尺五寸、幅四尺五寸、台石厚さ三尺、直径四尺五寸、横長さ九尺五寸で総高さ一丈五尺五寸となる、しかしてこれが建立は新潟関屋戊辰戦績保存会(会長斎藤巳三郎氏)を中心に関屋土地区画整理組合後援となり、次の如き諸氏が賛助員となって竣成されたものであるが、なお同石碑工事に対し工事請け合い者たる吉田吉平氏が、義侠的に一切無償に事を運び、さらに関屋の青年団及び中年会が新潟関屋戊辰戦績保存会を援け碑石の運搬、建立に当たりて総動員の上出動全く奉仕的の活動をなしたることは他に見ざる関屋の美風であるとしてここに特記して永遠に伝えるものである。(順序不同)
発起者 新潟関屋戊辰戦蹟保存会々長 斎藤巳三郎
賛助員
伯 爵 上杉憲章 伯 爵 平田栄二
新潟県知事 千葉 了 前新潟知事 黒崎真也
新潟市長 中村淑人 新潟市会議長 竹山正雄
海軍大将 黒井悌二郎 海軍中将 千阪智二郎き
貴族院議員 徳富猪一郎 鉄道政務次官 黒金泰義
貴族院議員 斎藤喜重郎 衆議院議員 野沢卯一
同 松井郡治 同 佐藤謙之輔
同 松木弘 同 出塚助衛
上杉家顧問 前米沢市長 宇佐美駿太郎 陸軍少佐 千阪洋二郎
陸軍大尉 八木孝助 念仏寺住職 文学博士 斎藤唯信
新潟商工会議所会頭 白勢量作
〇昭和七年当時の新潟市と米沢市の要人と考えてよいでしょう
●新潟戊辰戦蹟保存会々員と役員
新潟、関屋戊辰戦蹟保存会々員並びに役員氏名左のごとし(関屋旧百姓一同)
鎌田甚衛 渡部長平 早福庄三
早福弥三衛 鈴木嘉衛 宮口三六
椎谷七衛 松浦嘉衛 福本久七
早福又次郎 福田佐助 宮口半衛
津田平蔵 渡部半助 鈴木庄松
斎藤熊太郎 鈴木長五郎 鈴木鉄次郎
椎谷小太郎 片岡五郎次 早福由衛
高橋名平 椎谷久八 早福四郎衛
早福助蔵 渡部市蔵 宮口藤衛
早福惣三郎 石川喜三 斎藤唯信
斎藤巳三郎
会長 斎藤巳三郎 理事 渡部市平 理事 鎌田甚太郎
理事 高橋名平 理事 渡部長松 幹事 早福三四吉
幹事 早福四郎衛 幹事 椎谷久平 幹事 早福助像
幹事 早福由平 幹事 津田富三郎
戊辰戦史回顧(大尾)
〇原本はコピー本なので、何とか残したかった。最後までいくことができて満足です。色部長門に関する誤解も少しは解けたのではないかと思います。読んでくださった皆様ありがとうございました。