〇明治天皇の御不礼発表と同時に博文館が談話を集め、一部を改変して発行したものと思われます。当時の新聞はある程度不正確なものでも平気で記事にしています。この中でいくつか談話を書いていくことにします。

〇一部言葉を変えて表記しています。

〇高辻修長 1840-1921 宮中顧問官 子爵

 

●今から申し上げるさへ誠に恐懼に堪えぬ次第であるが、その頃までは幕府の威勢が盛んであって、一天万乗の陛下の御用度すら御自由にはならなかった。毎月の御経費も定まっただけをこの月は何程というふうに、制限をしていたので誠に何とも申し上げようにない恐れ多いことであって、ことに幕府を憚るところからお好きにことも御自由ににできず、たとえて申さば馬一匹を御買い上げになろうとしても、何かと口実を設けてお留申し上げるというふうで、実に恐れ入ったことであった。中井竹山の時代でさへ草芽危言にさえ慷慨してある。

 

〇中井竹山 1730-1804 幕府よりの考えを支持した儒学者

 

〇草芽危言 民間にあるものが政治を鋭く批判する、苦言を呈すること。ここでは中井竹山が老中松平定信に提出した建言書をいう。

 

〇孝明天皇のころの生活を書いたものには、天皇の暮らしは三万石程度の大名の暮らしに相当したとあったように記憶しています。したがって、公家の生活も位は高くても貧乏旗本や御家人の生活に相当すると読んだことがあります。

 

〇孝明天皇は、お酒を好まれたが飲んでおられた酒は質の悪い物であったらしい。したがって各大名家から献上物があると非常に喜ばれたといいます。