〇幕末明治初年に奥羽越列藩同盟の武器商人として活躍したヘンリースネルとエドワルドスネルの兄弟がいたことはあまり知られていない。慶応四年六月の新潟港陥落後にスネルはどこへ行ったのかわからなかったのですが、消息の描かれた本を見つけたので、書いていきます。

 

〇スネル兄弟はどちらも新潟港へ来ているのですが、兄のヘンリーは会津藩お抱えになって、武士の服装で活躍したので、会津のスネル、弟の江戸ナルドは越後で活躍したので越後のスネルと私は区別しています。

 

〇この兄弟はよく史書に出てくるのですが、どちらのスネルなのか混同してしまう例が多くあります。

〇一部旧漢字や言い回しを現代口語に直しています。

 

●スネルが上海から帰って来ると会津も降伏していたので、今度は会津のためにアメリカのカリフォルニア州に移民をと建策し明治二年彼は妻子の外、十数名の移民者を伴って、茶桑竹などを移植用に携帯してカリフォルニアにおいて会津の公子をあとから渡来して、往来するにつき、その先発だなどと大げさに吹聴した。

 

●この移民はことごとく失敗し、彼は妻子とともに夜逃げをして、同行の者は英(ママ)国に取り残されてミジメに日を送ったが、彼は再び日本に戻ってきた。多分自分が新潟に見たのは米国から逃げ帰って会津に帰ることもできずに新潟に住したからであろうと思われる。

 

〇英国ではなく米国の誤記と思います。

〇米国から帰って、会津に帰れないから新潟にいたと市島は推定していますが、私は市島が見たのは、弟のエドワルドではないかと思っています。