〇youtube「掛布雅之の憧球」「江本チャンネル」で、このことについて触れていたので書くことにします。

発言等は要約しています。

      ○当時の監督金田正泰

 

●「掛布雅之の憧球」 掛布、江夏、田淵対談

 

●田淵 昭和44年入団以来チームは2位が6回もあって優勝するという強い意志が球団になかった。巨人の川上さんのような監督が阪神に入れば、違っていたと思う。当時の阪神は個人の野球をしていた。

 

〇チームプレーは重視していなかったということです。

 

●掛布 あの試合の前に江夏さんが呼ばれたというのは、本当ですか。

 

●江夏 呼ばれたよ。いろいろそうゆうことではなしがあった。球団事務所に呼ばれて勝たなくてもいいといわれた。本当だ。

 

●田淵 給料上げるのがいやなんだよ。これじゃあ優勝できないよな。

 

●田淵 当日江夏の中日戦先発を聞いても、びっくりはしなかった。そういう体質だから。最終戦を戦ってショックで一週間くらい外へ出られなかった。あの年のことは一生忘れない。

 

●江夏 中日戦先発はおれから無理やり言ってはいない。上田でもどちらでもよかった。

 

●田淵 岡本ヘッドが先発江夏の名前を見て、ベンチに戻っ

た。

 

〇これは以前に書いたことを裏付けています。

 

●掛布 田淵さん江夏さんのトレードがあって、信じられない思いでした。その時は阪神が嫌いになりました。

 

●江夏 まさか俺のトレードとは信じられなかった。いつかは来るものだとは思っていた。

 

〇江夏のトレードは吉田監督から南海の野村監督にオファーしたものといわれています。金田正泰前監督との対立や金田をめぐる暴力事件に江夏が加わっていたと吉田は思ったようです。

 

●田淵 53年に夜中に球団から呼ばれてトレードだよ。次のターゲットはお前掛布だったよ。

 

〇田淵はブレーザー監督が田淵不要と決断したためといわれます。西武のフロントの根本さんが法政先輩のため田淵を取ったといわれています。

 

●田淵 年俸が高くなると出されるんだよ。藤田平も掛布も次は狙われていた。

 

●掛布 僕も南海へ出されるという話を聞いたことがあります。

 

●田淵 今の阪神と昔の阪神は体質が違う。

 

〇70年代までの阪神はもうかれば優勝しなくていいという野球は副業的な考えだったのです。この事件も後の江川入団事件も下手に動いて巨人に憎まれて収入が減ることを恐れた行動です。この時は巨人がセントラルリーグを脱会し、新リーグを作ると脅したことで阪神はしぶしぶ従いました。

 

 

●「江本チャンネル」江本、上田対談

 

●江本 129試合目に登板しなかった上田さんどうしてですか。

 

●上田 中日戦は自分は圧倒していたし、あるコーチからは先発といわれていた。前日に変更になり、納得いかなかったので、監督の所へ聞きに行った。

「何でぼくじゃないのですか」

「俺の責任で決めたのだから、納得してくれ」

「監督が決めたことだから、仕方がない」

江夏が打たれたら俺が行くとベンチには入っていた。

 

〇これは新しい証言です。金田が「二朗、風邪ひいているやろう」という証言は上田は出しませんでした。

 

●江本 球団から何か話があったということはどうなの。

 

●上田 それはまだ生きている人が残っているから、いわれん。

 

〇あったと推定します。

 

●江本 二朗が投げとったら優勝していたかもしれない。

 

●上田 そうかもしれない。名古屋で決まらんかったらアカンという雰囲気があった。

 

●上田 昭和48年10月20日に阪神が優勝できなかったのは汚点かもしれない。

 

〇公正な試合でファンの知らないところで談合し負けを選んだ球団の汚点です。何回かこの事件を書いてきましたが、上田二朗さんの証言が聞かれたことで関係者をほぼ網羅することができました。今回で終わりにいたします。ありがとうございました。

 

〇阪神タイガース 豊田選手の彗星のような登場。貯金がまだあるのに岡田うんぬんとはなさけない。佐藤も大山も泥の中から這い上がってチームの力となれ。