〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●午前八時居士は常のごとく子女を学校へ送り、また門人諸氏に撃剣稽古を命じ、またこの日は夫人の琴の稽古日なれば夫人にも稽古を命じ、しかして居士自身もまた太刀を抜いて五点を使い、傍らの人に平静と変わらぬネといって微笑まれた。

 

●同十時にいたり、池田謙斎氏勅を奉じて診察し、かつ人払いにて謙斎氏聖上の御密旨を伝え、居士はこれに奉答する所あり。約一時間にして辞し去られ。次いで浅田宗伯氏は東宮殿下の命を奉じて診察せられた。

 

〇池田謙斎は陛下のどんなお言葉を伝えたのか、他の鉄舟本にはこのことは書かれていないようです。おそらく誠実に陛下に仕えた鉄舟に感謝の言葉を伝えたのだと推測します。

 

〇池田謙斎 1841-1918 侍医

〇浅田宗伯 1815-1894 侍医。漢方医

 

〇侍医が差遣される場合はもう回復の見込みが少ない場合が多いようです。鉄舟も陛下のお言葉を聞き、最期を覚悟したものと思います。