〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●しかして十七日の夕刻に至り、居士は入浴して夫人に白衣を持ち来たれと命じられ、夫人はこれを忌避せられる様子であったから、馬鹿な奴だと叱り強いて白衣を着けて部屋に戻り、皇城に対して恭しく一礼して床につかれた。

 

〇白衣は死に装束を意味している。

 

●が、その夜午前一時を過ぎるころ突然癌腫が破裂する。すぐに千葉氏を呼び手当てを施したが、すでに胃穿孔のため腹膜炎を起こし危篤に陥られた。これより千葉氏はつききりで看病する。

 

●すでにして危篤の報諸方へ伝わり、十八日午前七時ころには、親族門人知己の者に百人余馳せ集まり、障子を取り外して居士の寝具を取り囲み一同惨憺として座しておる。そこに勝安房氏もまた駆けつけられてこの様を見て

「お前たちは、これまで鉄舟を責め抜き、この期に及んでなお責め殺すつもりか」と大喝されたので、一同は別室へ引き下がった。

 

〇勝の言葉は鉄舟の元気な時には、無理難題や金の無心をして、最期になっても静かな死を送らせることもできないのかという嘆きと思います。

 

●そこで勝氏は居士に向かい、「君は俺を残して先に行くのか独り、味をやるではないか」といい、居士は「もはや用事が済んだから御免こうむる」といわれ、勝氏は「話し相手になる坊さんを呼んではどうか」といい居士「ソハ今遠方へ行っているので留守だ」といわれた。

 

●かくして勝氏はしばらく決別のことばを交え、二階へあがり紙筆を求めて

塵世を横行す ボウバクたる精気 残月弦のごとし

光芒地を照らす の詩を書し居士に提示された。

 

〇ボウバク 石∔傍  石∔薄