〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●居士の貧乏は天下の通りものであった。貧乏の原因は「与える、盗られる、義理バル」の三つに帰着するのである。今その二三例を挙げると、義弟石坂周造氏が金二十六万円の債務を背負わせたことがある。全体石坂氏の人物は是非善悪の区別や義理人情の束縛などを超越し、そこへ智勇弁舌を兼ね備えていたから、いかなることでも思うがままにやってのけるという怪傑であった。

 

●が、つとに居士の偉大なところに深く食い込んで一死を許していた。居士もまたそれに轡をはませて巧みに善用されたので、維新の際には居士唯一の股肱となって非常に働いた。

 

●然るに維新後は石油業を始めて大いに国家に利益し特に位階を賜った。がその事業のために恩怨親疏を挙げてみな犠牲にしている。しかして居士はいわゆる善用の目的で、終始それを助けておられたから、犠牲になられたことも幾たびか知れぬ。

 

●いまこの二十六万円はなかんずく、その著大なものである。はじめ二十五万を背負わせたのだが、ソハ居士の徳望でその大半を減じ得た。されど居士は素っぱだかになった上に、月給三百五十円のうち二百五十円を十年間差し押さえられた。ために家人は粥をすするさえ困難である。そこへさらに一万円を追っかけせおわされた。

 

〇鉄舟が負債を抱えて困難な暮らしにあったことは知っていましたが、ここで私はその総額や経緯を知りました。明治十年代の二十六万円は今では百億単位でしょうか想像がつきません。

 

〇石坂は山師で最新の機械を西洋から輸入したのでしょうから思うような石油が出なければ負債はどんどんふくれあがります。