〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたもので〇す。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●古くからの弟子である某居士。ある時居士に臨済宗の提唱を請うた。居士はそれならば、鎌倉の洪川老師に就いて聞くがよいでしょうといわれた。某氏イヤ洪川老師には、私はかってうかがっていますが、このごろ先生は滴水老師印可を受けられたと伺っております。ただ先生の御提唱を一度伺いたいと思うのですというのです。

 

〇洪川老師 今川洪川1816-1892 鎌倉円覚寺管長

〇滴水老師 由理滴水 1822-1899 天竜寺管長

 

●居士はウン左様かよろしい。デハいきましょうといいつつ立って某氏をいざない撃剣道場に入って門人と撃剣一場し、しかして、部屋に帰り。某氏予の臨済宗の提唱は如何でしたと問われた。が、某氏は呆然無言である。

 

●そこで、居士は声を励まし予は剣客だから剣道を以て臨済録を提唱したのだ。これが予の本分である。予は決して僧侶の真似はいたさぬ。人まねは皆死物である。たとえ、碁将棋のごときでも、これを自家に活用すれば真に有益だが、禅とて死物となっては畢竟道楽仕事に過ぎぬ。

 

●あなたは多年禅を行っていると聞くが、臨済録を書物だとばかり思っていては困りますねといって、一笑された。某氏深く悔謝して帰っていった。

 

〇臨済録を書物としてだけで理解していてはだめだといっています。一人一人の生き方の中に臨済録の姿を見出していかなければ何にもならないと言いたかったと思います。実学や陽明学の考えと似ているのだろうと考えました。