〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたもので〇す。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●居士ソハもっともの次第だが今からゆうゆう官途の稽古をしてもおれまい。しからば俺に極手っ取り早く官吏になれる唯一の秘訣がある。この秘訣さえ会得すれば大臣参議の官職でもなんのヘチマの皮だ。そのかわり少し骨は折れるが、ナニ十日か二十日も一生懸命になればよいのだ。

 

●お前はどんな苦労でもするというから、一つこれをてにいれよといって、「趙州無字」という公案を授け、かつ工夫の仕方を教えてやられた。それより宗太郎は官途になりたさの一心でしゃにむに猛進したが、ついに二旬余で無字に撞着し馳せて居士に参見した。

 

●居士はどうだまだ官途に就きたいかというと、宗太郎は最早大臣参議になりましたという。居士は微笑して喜び大杯をあげて宗太郎に酒をふるまわれた。その時宗太郎が居士に先生の「鉄」の字を冠して居士号を付与されたしと請うと居士は言下にウン「鉄針」がよいといって机上の巻紙に「鉄針居士」と書して与えられた。

 

●宗太郎はしばし眺めていたが、先生鉄針とはなんだか変でございますなあといって不満の様子である。居士はすぐその余白に「針鉾影裡 騎大鵬」と書してどうだ面白いではないかといわれたので、宗太郎卒然として、反省する所あって、これより全く名利の念を放棄したということだ。

 

〇鉄舟は宗太郎に官吏の資質がないと見抜いても、それを宣告することなく禅の修行に誘い込んだ。宗太郎は思索を重ねの内に自分を見直し、名利を求めている自分の軽薄さに気がついたのでしょう。

 

〇どうも鉄舟を読み進めていくと鉄舟は剣術家でありながら大変な教育家でもあったことに気がつきました。