〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●またある時居士の実弟小野飛馬吉氏が、兄鉄舟は色情の修行によほど骨折ったと見えまして、ある時鉄舟が色情というものは一切衆生、生死の根本だから、実に執拗なものだといいましたので、私は色情なんというものは、だれでも年を取れば自然になくなるでしょうといいますと。

 

●鉄舟は馬鹿なことを言う。おまえのいう色情は形而下のことだ。そんなことは俺は三十歳の頃より心を動かさなかった。しかし、男女の差別心を除かねば本当ではないと考え、それがために非常に刻苦した。

 

〇鉄舟は色情を形=形而下ではなく、哲学的な思考=形而上の問題ととらえ自分の答えを求めていたというのです。

 

●そして、四十五の歳「両刃鉾不須避」の語に徹してからは一切所に物我一体の境涯を受用したが、なお子細に点検すると、男女間には筆先の毛ほどの習気が残っているので、さらにまた努力して四十九の歳ようやくそれを滅することができたといっていましたと語られた。

 

〇鉄舟は四十九歳で色情の形而上の課題を解決したということがわかりますが、詳しいことは禅を理解していないのでわかりません。