〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●編者はかつて居士の色情修業のことを後室(居士の妻)にただした。すると後室ソハ夫婦間の恥話をせねばわかりませぬと初めにいい、鉄舟は二十一歳で私と結婚しました。そのときより、よく独り言で色情というやつは変なものだ。男女の間妙なものだといって小首をかしげていますので、私はおかしなことを考える人だと思っていました。

 

●全体鉄舟は何の道を修行するにも、尋常のことでは満足せず徹底まで究めようとする。そのためには一切を賭してかかるという性質でした。そこで、結婚に三年は無事でしたが、二十四五の頃より、さかんに飲む・買うというようになりました。尤も一人の女に凝るのではなく、なんでも日本中の売婦を撫で切りにするのだなどと同輩者に語っていたようです。

 

●何分そのころ鉄舟は一命を投げだしている諸般の浪士等と、明け暮れ交際していたのですから、私はあきらめておりました。されど鉄舟一族が騒ぎ出し、鉄舟を離縁すべく何度か私に迫りましたが、私はあくまで不服を唱え、かつ弁護しておりました。

 

●しかし、鉄舟はそんなことに少しも頓着せぬので、ついに親戚一同で絶交を申し込んで参りました。すると鉄舟はコハ面倒がなくてよいといって、いかようとも御勝手たるべしと、挨拶してやりましたので、それより全く親族と絶交になりました。私は女の意気地なく、かれこれ心配の結果一年ばかりも患いました。