〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●千葉氏はある時真に禅修行をするには、情欲を絶たねばいかぬと考え、居士にその意を語ると、居士は大いに驚嘆して、足下はエライことに気がつきましたね。情欲は生死の根本だからこれを絶たぬ間はいくら禅修行をしたといっても皆半途に終わるのだ。

 

●しかし、情欲を絶つの一字は実に大難々ぞといい、かつ足下はいかなる手段を以てこれを絶たんとするやと問われ、千葉氏は一生妻女を遠ざけ情事を行わぬつもりですと答える。居士はソハ絶つのではない、抑えるのだ。いわゆる臭いものにはふたをするのではないかと問われた。

 

●千葉氏それではいかがしたものでしょうと尋ねる。居士は真に情欲を絶ちたく思えば、今よりさらに進んで情欲海の激浪に飛び込み、鋭意努力その正体は何であるかを見よといわれた。

 

●時あたかも大徳寺の牧宗老師が来会されたから、居士すぐに千葉氏の志を語り、氏のために垂示を請われた。が、老師は甚だ迷惑のていで、わしは僅かに「婆子焼庵」の古則を看たくらいで、お尋ねの消息はまったく没交渉であると辞退し、怱々に帰ってしまわれた。

 

〇牧宗老師 不明-1891

 

●そこで居士は前話をついで、予は二十一歳の時より色情を疑い、爾来三十年婦人に接すること無数。その間実に言語を絶する苦心をなめた。しかして、四十九歳の春、一日庭の草花を見て、忽然機を忘することしばし、ここに初めて生死の根本を裁断し得たと語られたと。

 

〇ここも禅話で難しいところです。鉄舟は自分自身の体験を語り、色情は何であるかを極めるために、色に執心して何かを得たということでしょう。何を得たのか説明はありません。鉄舟は納得する概念をつかみ以来色ごとにこだわらなくなったということだと思います。