〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●千葉氏はこれを展観すると白隠という落款があるので、コハいかなる人ですかと聞く、居士ソハ百年前の禅宗の高僧である。すると千葉氏は急に眉をひそめて、私は一体仏法は異端の教えであって、坊主は媼婦人をだましてへそくり金をまきあげることを心事とする。実に汚穢きわまるものだと心得ていますから、今日まで決して坊主と同席いたしません。

 

●したがって、その書いた物などもわたくしの家に入れたことはございませんという。居士は世間にはそんな坊主もたくさんいるが、この白隠和尚は五百年間出といって古今にまれなる高僧で、今上陛下より特に正宗国司徽号を賜ったほどである。それゆえあの「乾坤只一人」や「即今上人性」などはみな白隠和尚のごとき高僧方の、学者を接得される公案というものである。

 

●その他、禅宗のことを詳しく聞かされたので、千葉氏は初めて自分がこれまで講究せしものはまったく仏法の禅であることを知りその掛物をありがたく受けた。

 

●よって居士はそれに

 「豆州龍澤寺始祖神機独妙禅師定めの一字大書 至善に止       

 まるに在り 止まることを知りて而して後 定ること有り 

 て十字の小書は 即ち現住星是老師の予に贈る所也 而し 

 て今千葉道本参禅甚だ勤める 因って復たこれを贈る。乞

 い願わくは護持せよ と裏書された。これより千葉氏は非

 常な仏教信者となったのであると」

 

〇千葉市に与えた問題はすべて禅宗の高僧によって作られたものだと居士から聞いて、仏教の哲学の真髄を知り、仏教信者となったとあります。千葉氏は自分が苦心惨憺して考えた問題が禅宗のものであるとは知らなかったのでその深淵を知って驚いたことでしょう。

 

〇最後の「」の読み下しは不正確なものでよくわかりませんでした。