〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●すると千葉氏は憤然として、身を震わし顔色を変えて、しかし、同じ人間ですから、他人にできることが私にできないはずはございますまいという。居士はその機に投じ、しからば「宇宙に太陽は二つなく、天地間にただ一人」ということを講究しなさいといい、なおこれを講究するには四六時中下腹へ力を入れて、寝食は勿論心身をも忘れるほどに骨を折らねばならないと垂悔された。以来千葉氏は熱烈に講究し、約一か月後に「乾坤一人」を透過した。

 

〇ここは禅宗の座禅の専門用語のようなので自分には推測することしかできませんが、「乾坤一人」について鉄舟と問答を重ね、鉄舟を論破したか納得させたかのいずれと推測します。

 

●居士は次いで「兜率の三関の即今上人の人性いずれの処に在りや」を授け。これは「乾坤只一人」よりはよほど難しいから、従前に幾倍骨を折らねばならぬと垂悔された。

 

●千葉氏はこれには真に一命を投げだしてかかった。というわけは、あまりに下腹へ力を入れたので、はからずも脱腸になってしまった。千葉氏はこれを大いに驚いたが、初志を顧みて、たとえ腹が破れて死んでも退却はならぬと覚悟し、晒し木綿半反で腹を巻いて依然猛進し、ついに「即今上人性」を透過した。

 

●居士は引き続き数則の話頭を授けられたが、千葉氏は破竹の勢いで透過する。とりわけ「心頭滅却すれば、火おのずから涼し」の則において、居士は深くその俊発に感心された。そこで千葉氏は初めて脱腸の事実を明かし、危うく先生に一命を取られかかったのですと語ると、居士は微笑してウンよく引っ掛かりました。なかなかそうは引っ掛からないものだといって大いに喜び、一幅の掛物を出して千葉氏に与えられた。

 

〇ここは前にもまして禅の専門用語なのでよくわかりませんでした。いずれにせよ千葉氏は鉄舟の出した課題を苦心惨憺して解いたということがわかります。