〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。
〇現代口語文に近い形になおしました。
〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載
せます。
●浅利氏は明治某年に修行を終え、以来剣を取らなかった。以来修行を怠ることはなかったが、浅利氏に勝つ方法はなかった。であるから、剣を取って諸人と試合の後、一人で浅利氏のことを思えば、浅利氏たちまちに剣の前に現れ山のように映った。
●常に浅利氏と戦わんという姿勢だった。明治十三年三月三十日早朝寝所において、これまでのように現れた浅利氏に対して剣で対戦する構えをすると、剣の前に浅利氏のまぼろしは現れなかった。
●ここにおいて、真に無敵の極みを得たり。であるから、浅利氏を招き、我が剣の試験を受けた。浅利氏は「大いに妙理を得たり」といわれた。
〇浅利氏は自分の領域に入ったと言いたかったのだと思います。
●ついに自分独自の道を開いて、無刀流と号することにした。ああ、様々な修行もこうしたものなのか。古人いわく修業は励むほど上達する。励めば必ずその極に必ず行きつくのだ。諸学する者は怠ることなかれ。
〇以下の漢詩は読み下し不十分ですが、あえて載せます。
●剣を学びて 心を労すること数十年
機に臨み 変に応じて 守りはいよいよ堅し
明れば 塁壁は皆打ち破る
露のようなわが身は 満々としてやり遂げる
〇最後の句は不完全なので以下に示します。意をくみ取ってください。
〇露影湛如還覚全