〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●居士は尊皇攘夷党を率いて、朝幕一致を主張されたので、幕府側の士は大いに居士を疑い、しばしば暗殺を謀った。とりわけ、旗本に忠直の聞こえある。松岡萬氏が憤慨し、一日泥酔を装って居士の背後にたわむれかかって柔術でその首を挫かんとする刹那、居士その手をとらえて反って松岡氏をねじ伏せて懇懇とその誤解を諭された。

 

〇山岡は公武合体の上の攘夷であったようですが、この時期は幕府も攘夷は放棄していたので、山岡の行動は勤皇派と認定されていたと思われます。

 

●そこで松岡氏は初めて居士の心底を知り、すぐその同志中へ加わった。居士はその後松岡氏の家計困難を憐れみ、自分もまた困難にもかかわらず、毎月三十円ずつ生涯付与された。松岡氏はその義気に感じ、自分の身の終わるまで居士のために一死をも辞せぬ態度を持ち続けた。

 

〇鉄舟は金銭に淡白すぎで晩年には家計の維持が難しく、皇室や徳川家家から資金援助を得ていたようです。義弟の石坂周三が石油事業で失敗したことが影響したのかもしれません。