〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●木像梟首事件に付き浪士隊よりその筋への願書写

 

●先般等持院の足利氏の木像を梟首した者共、逮捕され入牢申し付けられましたところ、右は忠憤激烈の至情により行動したのであって、にくむことは少なく、無頼の行為とは違う者でございます。この行為を厳重に罰することで、諸藩の人心は混乱し種々の噂も聞こえております。

 

●御上洛の前に異論が巻き起こるので、私共深く心痛しております。右については早く御決議あらせられ、我等の心事をよくよく御理解くださった上で、御入洛前に格別の恩赦をもつて出獄を命ぜられ、長州、土州両家へお渡しになり、その邸内でねんごろに養い置き他日尊攘に役立たせるように、御命じ下されますように願いあげます。以上

 

〇これは文久三年四月の等持院足利将軍三代の木像の首を切り取り、賀茂川三条川原にさらした事件を言います。

 

〇足利将軍の木像の首を切り取るというのは、徳川将軍家に対する敵対行為にもとれるので、山岡が犯人グループに寛容な態度をとっているのは理解ができません。

 

〇これらの犯人の生き残りは明治維新後は神社の神官となっている人もありますので、平田篤胤派の急進的な人たちのようです。

 

⁂桐島聡容疑者現る 当時大学二年生だった私はこの事件をよく記憶しています。私のアパートへ警視庁の刑事が来たことがあります。私の住んでいる沿線に過激派のアジトがあるらしいというようなことを言っていました。当時は過激派の活動が活発で、私のクラスの一人の男子学生は内ゲバで殺されたことがありました。無益な殺し合いをしていました。