〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●居士の生涯中、最も苦心したことは撃剣である。その初めに盛んに稽古された頃はほとんど狂人のようであった。ある時は厠のなかでも、ある時は布団に寝ているときも絶えず試合をしているように体勢を取った。

 

●また、歩いている途中でも竹刀の音が聞こえると飛び込んで試合を申し入れ、また、自邸を訪ねる客があれば直ちに稽古道具を持ち出してサァ一本と挑まれた。とりわけ、おかしな話は毎日出入りの商人の若者を捕まえて、俺の体中どこでも勝手に打てよといって。

 

●素っ裸になって立ち向かい、そして、もう一本、もう一本と際限なく畳みかけられるので、さすがの若者たちも閉口して、ついには御用聞きは来なくなってしまった。

 

●そこで、舎弟の酒井極氏が彼ら素人を相手にして何の益がありますかと諫めた。ことに裸で立ち会うなどはあまりに無法ではありませんか。少しお控え召されてはいかがですか。

 

●すると居士は馬鹿なことを言うなという。木剣試合の作法のみを守っていて何の用に立つか。俺は素人でも玄人でも何でもござれだ。いつも戦場の真っただ中で真剣勝負をするつもりで稽古しているのだといわれる。

 

●極氏デモ御用聞きが来なくっては御姉様が御困りですからという。居士これを聞いて呵々大笑して、ヤァ兵糧攻めかソイツは一本まいったなあ。デハ今日より試合はせぬから御用聞きに来いとお前触れ回ってきてくれといわれた。

 

〇常在戦場。山岡鉄舟の道場春風館の後年の修行は荒修行で有名でした。香川善治郎の自伝に皆伝を受ける試験のすさまじさが記録され言います。