〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●しかしながら、これを打ち破る方法はある。その方法とは。今ここに勇士と臆病の士がある。試しに深山の上に導いていうには、この谷を踏み越えられた者に百金を与えると。

 

●勇士は百金を得るために奮って超えようとする。しかしながら臆病の士は躊躇して進まない。その時猛虎の背後にあるのを見れば、恐怖のために度を失い賞金のあるなしにかかわらず谷を恐怖のために超えていくだろう。谷を乗り越えさえすればいいのであってその方法は問わない。

 

●大体、勇士は昔の武士であり、臆病の武士はいまの武士である。例えれば百金は賞であり、猛虎は罰である。であるから、勇士には賞をもって統率し、臆病の士には罰をもって率いてゆけば共に谷を越えていくのに十分な力になる。

 

●こうすれば、遊惰の士は変じて勤勉の士となり、臆病の士は勇敢な士となる。国勢の体制を一新し武術を固くすることができる。こうすれば日を数えるように待っていれば、成果は現れるであろう。

 

●もし、何も為すことなくいたずらに日を送り、そして決断しなければ必ず臍を噛むときが来るであろう。願わくば私の愚考を賢察していただきたい。

 

〇山岡の意見具申の書です。結局は山岡の予見通りに、幕府は戦に負け、彰義隊の不統一を招いてしまいます。

 

〇大廈の倒れるを知るや、一木これを防ぐ能わず。でしたか、山岡一人の力では幕府を救うことはできなかったということです。