〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●居士二十一歳の時。ある夜同輩数人と某氏邸に招かれ、主食の宴を受けられた後それぞれの自慢話に夜の更けるのを忘れた。とりわけ主人の某は大いに健脚を誇り。拙者明日は下駄ばきで成田山へ往復約三十五里の道を歩くつもりだが、だれか同行する方はござらぬかといって、傲然と一同を見回した。

 

●しかし、一人も応ずる者はいない。そこで居士は某氏に向かい、拙者不敏にしていまだ遠足の経験がござらぬから、幸い、明日は足試しにお供いたしましょうといわれた。

 

●某氏これを聞き軽蔑の笑みを浮かべて、ヤァ襤褸鉄公が同行されるとな。それは一段と面白い。さらば明朝四時に来邸せられよ。必ずお待ち申し上げているという。時間はすでに午前一時を過ぎている。

 

●居士は家に帰り、わずかに机にもたれて熟睡。すぐ目覚められると、天気は風雨激しく窓を打っている。居士はそんなことに頓着なく、さっそく高下駄をはいて出立し某邸を訪ねた。

 

●某氏は手拭いで頭を縛り、渋面をして、昨夜は大いに酒に酔って頭痛激しく何とも致しがたいのだという。居士はデハ今日は拙者一人で参ることにしますといってゆうゆうと歩いてでた。

 

●そして、夜の十一時ころ再び某氏邸に立ち寄り、ただいま行ってまいりましたといわれた。某氏は驚いて出てみると、居士は下駄の歯はすり減ってほとんどなくなり、全身に泥はねを浴びて立っている。某氏はそれを見て顔を臥せて一言もなかった。これより居士は同輩の旗本から畏敬された。

 

〇これは有名な話で鉄舟本にはよく出てくる話です。成田まで130キロメートルを約18時間で悪天候の中歩き通すのは普通の人間にはできることではないと思います。

 

〇このようにして鉄舟は旗本の若手中の奇人として知れ渡り、おそらく幕府の支配層にも認知されたのではないかと思います。