〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。
〇現代口語文に近い形になおしました。
〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。
●静山先生は世にまれな槍術の名人であった。ことに天性の親孝行である時、病にかかり絶食十日以上になってしまった。母堂はその衰弱の様子を見て深く嘆かれた。
●すると先生はその翌日より道場へ出て門人一同を指導し、そして自らも鍛錬をして、午後四時ころ部屋に戻り母堂に向かって私はこのように元気がありますから、ご安心くださいといわれた。
●その後、思い脚気症にかかり引きこもっておられた時、その水練の師症を仲間の者が嫉妬して隅田川で殺してしまおうと計画しているようだと母堂が他の者から聞き大いに心配して先生に向かって、何とかして助けてあげたいものだねえといわれると、先生はムックと布団の上に起き上がり、私が行って必ずお助けいたします御安心遊ばせといい、その日に至って隅田川に向かい、先生は水泳中に発作を起こして亡くなられた。静山先生は享年二十七歳であったと。
〇水練の師症謀殺の企てがあった。そして静山自身が体調が極めて悪いのに水中に飛び込んだ。これは一般の鉄舟本にはなかったように思います。高橋静山と山岡鉄舟どちらも共通する気質があります。