〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●居士父母に死別して異母兄の家に寄寓して以後はその衣服破れがちであったので、同僚はあだ名をつけて襤褸鉄とよんだ。しかしこれを居士は甘んじて受けられた。そして自らも襤褸鉄と名乗られた。

 

●居士十九歳の時の時に、本所の古風氏は知人宅より小石川の自邸に帰ろうと不忍池のほとりへ差し掛かると一青年が弁天前の石灯籠を崩そうとしきりに力試ししているようすだから、しばらく木陰に隠れて身ていた。すると青年はその竿石を差し上げて池の中に投げ入れようとする。その瞬間、古風氏大声して一喝こら待てぃと叫んで駆け寄り、その襟首とらえてよくよく見れば、なんとそれは舎弟鉄太郎であった。

 

●そこで居士にさっそく灯篭を型のように積ませて戻し、一緒に帰宅した。そして古風氏は徹夜してその粗暴を攻め立てたので、居士これを深く悔い、将来を慎むべく、左腕を刺して血誓をされたということです。

 

〇慈悲深い一面粗暴なところもある鉄舟。しかし、武士の請願で腕を刺す行為からは鉄舟は以後粗暴の行為はしなかったのではないかと思います。