〇山岡鉄舟1836-1888

〇旧旗本。剣術家。江戸開城の交渉者として西郷隆盛と交渉する。維新後西郷の懇請で明治15年まで明治天皇侍従となる。座禅をよくし全生庵を創建する。

〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●居士八歳のころより観音を信仰され、朝夕茶菓を供えて拝礼することを忘れなかった。十五歳の時異母兄小野古風氏に従って伊勢の大神宮に父の代参として旅行した。

 

●日に十里を歩かれたが、折あしく悪天候のため雨降り続きの白子の宿へ着かれた時はことに荒れ模様だった。旅館に入るとすぐに従僕に命じて菓子を求め振り分けのつづらから袴を出していつものように礼拝し、いつまでも平伏しているので、古風氏声をかけてみると、疲労のあまり居眠られたのであった。後年古風氏居士にこのことを語って共に大笑されたそうだ。

 

〇鉄舟は神仏に厚く信仰し、将軍家に忠義を励み、尊王の思想にも厚かった。このような人であるから、自分の主人の徳川慶喜の命を一番に考えながらも大総督の宮の方針を守ろうとしたのでしょう。当然西郷隆盛が、徳川慶喜の備前岡山藩にお預けの命を鉄舟の赤誠に感じて撤回したからにあります。