〇山岡鉄舟1836-1888

〇旧旗本。剣術家。江戸開城の交渉者として西郷隆盛と交渉する。維新後西郷の懇請で明治15年まで明治天皇侍従となる。座禅をよくし全生庵を創建する。

〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●居士十三歳の時、ある日他の兄弟は皆隣の家に鰻の御馳走に行った。居士は一人残って読書に余念がなかった。その時幕府の内命を受けて諸国武芸視察のために、小野高福氏の屋敷に滞在していた長田文弥氏が居士に坊ちゃんなぜおいでにならぬのですかと聞くと。

 

●居士はあんな、みみずのひれの生えたようなケチなものはいやです。鯨かなにかなら御馳走になりますといわれた。長田氏その語気の非凡なことに感心して深く居士の将来に望みを託した。

 

●そうして、長田氏は居士の剣術修行のため一方ならぬ斡旋をしたということである。

 

〇小野高福は鉄舟の実父。後年山岡家に養子に入った。

 

〇鉄舟は強情で、わがままなほら吹きと現代なら言われる児童ですが、その協調性のなさが、大難を切り抜けた力となりました。