〇山岡鉄舟1836-1888

〇旧旗本。剣術家。江戸開城の交渉者として西郷隆盛と交渉する。維新後西郷の懇請で明治15年まで明治天皇侍従となる。座禅をよくし全生庵を創建する。

〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。

 

●居士十一才の時、父君小野高福氏は飛騨の国の代官を勤めて高山町に在住し同所宗寺の和尚と昵懇に行き来された。

ところが、ある日のこと居士は寺に遊びに行き鐘楼の前に立って物珍しげに大鐘を眺めていられた。

 

●和尚はその後ろから、鉄さん、鉄さん、その鐘が欲しければあげましょう。持っていきなさいといった。すると居士は振り返りありがとうといって、そのままかけ帰り、うれしそうに飛び跳ねて、父君に宗猶寺の大鐘をもらいましたとつげられた。

 

●父上は微笑んで、では取ってきなさいといわれた。早速出入りの若者たちを連れて、寺へ引き返し、大鐘を降ろしかけられたので、和尚は吃驚して出てきた。

 

●さっき言ったことは冗談ですとしきりに言い訳をした。しかし、居士は頑としてこれを聞かず承知しない。和尚は大変困ってしまいついに父君を迎えに来て説得を請い、ようやく決着することができたそうだ。

 

〇栴檀は双葉より芳し。遠く私共雑輩の及ぶところにあらず

 

〇一字コピーしたらフォントが変わってしまいました。