〇山岡鉄舟1836-1888

〇旧旗本。剣術家。江戸開城の交渉者として西郷隆盛と交渉する。維新後西郷の懇請で明治15年まで明治天皇侍従となる。座禅をよくし全生庵を創建する。

〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

〇旧漢字、仮名遣いを一部改めています。

 

●陛下はツト立御あらせられ、山岡立てい立てい。と厳しく逼らせ給いしも。居士ソハ恐れ入り奉る儀に候とてひたすら平身低頭せられたので、陛下サラバ座り相撲を取らん。とて百方手段を尽くし居士を倒さんと藻掻かせ給うたが、

 

●居士の体はあたかも盤石のごとくビクりともせぬので、陛下いよいよ益々逆鱗あらせられ、ついに御拳を固め居士の目を突かんと勢い込んでとびかからせられた。

 

〇陛下は深酔いし意地になって山岡を倒そうとしてストレートパンチを顔めがけて繰り出したということです。

 

●ソコデ居士よんどころ無く頭をちょっと横へかわされた。そのはずみに陛下は居士の体をかすめられ。ドット彼方へうち倒れさせ給い。ウーン一天万乗の君を投げるとは無礼至極の奴だ。と宣わせられた。

 

〇山岡は明治天皇を投げたのではなく、体をかわしたので天皇は勢い余ってひっくり返ったのが真相です。昭和天皇の侍従長入江さんも随筆で「山岡が明治陛下と相撲をして投げ飛ばした」と書いています。明治大正ではそれが真実として一般の国民に知られていたのです。