〇山岡鉄舟1836-1888

〇旧旗本。剣術家。江戸開城の交渉者として西郷隆盛と交渉する。維新後西郷の懇請で明治15年まで明治天皇侍従となる。座禅をよくし全生庵を創建する。

〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

〇旧漢字、仮名遣いを一部改めています。

 

●山岡汝の意見は如何だ。朕に賛成か不賛成かと宣うた。居士は先刻より謹聴しておられたが、ここに初めて口を開き恐れながら小臣は日本を法律のみで治め候はば、人民は皇大神宮を拝まぬように相成なるべしと存じ奉る。と奉答せられた。

 

〇山岡は西洋の法律に詳しかったわけではないと思います。諸子百家の法家を思い浮かべたのではないでしょうか。秦の始皇帝の法家政治がいかに人民に厳しく害を与えたことを引用したのでしょう。

 

〇現代中国が宗教を弾圧して、形だけの寺院を認めています。現代の中国人が寺院や道教・風水に期待するのは現世の利益が主で、信仰心はありません。

 

〇短い期間ですが台湾に旅行した時、町のところどころに地蔵堂のような祭壇がきれいに保存してあり。信仰の続いているのを見ました。

 

〇宗教を捨て置いて法律だけで統治すれば、山岡のいうように皇大神宮を拝むものはない世の中になってしまいます。つまり、宗教に基づいた道徳心が必要だと言いたかったのです。

 

●これには、陛下グッと行き詰まらせ給いしが、見る見るうちに逆鱗の御景色に渡らせられ、それよりさらに大杯にて幾杯かを重ね給い,ヤガテ山岡相撲一番来い。

 

〇陛下はもとより山岡の論の正しさにㇵッとされたのでしょうが引っ込みがつかなくなって山岡に相撲を吹っ掛けたのです。