〇明治神宮崇敬会編 昭和37年刊 明治天皇50年の式年に近侍の当時生存者の記録。

 

◎出席者

園池公致  侍従職出仕

坊城俊良  侍従職出仕

平松時賢  侍従職出仕

岡崎泰光  侍従職出仕

久世章業  侍従職出仕

山川三千子 女官

甘露寺方房 侍従職出仕 受長の弟 ここでは甘露寺と表記します。

穂僕英子   女官

山口節子   女官

甘露寺受長 侍従職出仕 方房の兄 ここでは明治神宮宮司在職

         中により、宮司と表記します。

 

●園池 毎朝の賢所への御代拝は侍従が装束をつけて内舎人(うどねり)をつれて東車寄せから馬車で行きました。

 

●山川 月の朔日には旬祭(原注 毎月一日、十一日、二十一日に行われるお祭り)といって賢所にお祭りがありましたが、その時はお祭りがすむまで、お清いことになるので大変でこざいました。私の存じておりましたお上は新嘗祭の折は実に謹んでおいでで、ちゃんと夜分までお座り遊ばしておいででした。

夜更けまで賢所では神楽が奏されておるのでお上はまだ聞こえるかとおっしゃられましたので、私は縁に立ちまして「まだきこえます」と申し上げました。秋も更けてもう夜など寒くなる頃のお祭りでした。

 

〇天皇が直接神事をする以外の大きな神事では天皇は内廷で慎まれました。そのようなときは内廷で禁忌とする行為があり、これをわきまえて行動することを「お清い」と呼んでいました。

 

〇お祭りとありますが、神事のことです。旬祭は現在では実施されていないと思います。昭和になり簡素化が行われました。