〇明治神宮崇敬会編 昭和37年刊 明治天皇50年の式年に近侍の当時生存者の記録。
◎出席者
園池公致 侍従職出仕
坊城俊良 侍従職出仕
平松時賢 侍従職出仕
岡崎泰光 侍従職出仕
久世章業 侍従職出仕
山川三千子 女官
甘露寺方房 侍従職出仕 受長の弟 ここでは甘露寺と表記します。
穂僕英子 女官
山口節子 女官
甘露寺受長 侍従職出仕 方房の兄 ここでは明治神宮宮司在職
中により、宮司と表記します。
●坊城 扇風機は電気がひいてないので蓄電池によったもので、鉄道院の役人が来て据え付けたものです。御料車の中には扇風機があったので、鉄道の方でやったわけです。
●権宮司 御内儀の障子は真っ黒だったようですね。その煤けた障子紙を石黒さんから没後いただきました。(原注 石黒忠篤氏未亡人より神宮へ奉納)
●宮司 それは真っ黒なものだった。電灯を用いられず蝋燭だったからそれは真っ黒だった。
●坊城 暑い良い紙です。
●司会 石黒軍医総監(原注 石黒忠悳子爵)が森鴎外(森林太郎 陸軍軍医局長)に御内儀を検査させて衛生上の見地から張り替えるというときに一コマの紙と表御座所の千鳥の壁紙を一緒に頂いておいたので、石黒忠篤翁は、生前にこれは神宮に納めておかねばならんといっておられたものです。
●宮司 あの御座所の壁紙は千鳥の群れが陛下の玉座の後ろから飛び立ってずっと廻って元へ戻るように描いてあった。
●坊城 電灯を御内儀にひかれないというのは、火災を御懸念されたのですね。
●山川 一度二階が焼けたことがございました。その後山川健次郎(原注 東京帝国大学総長 理学博士 男爵)をお召しになって「危険なものではないか」との御下問があったので、「絶対のものではございません。漏電ということもございます」と申し上げるほかはなかったのです。
〇当時の宮中は江戸時代に育った人たちですから、電気が無いという生活にあまり不便を感じていなかったのではないでしょうか。