〇明治神宮崇敬会編 昭和37年刊 明治天皇50年の式年に近侍の当時生存者の記録。

 

◎出席者

園池公致  侍従職出仕

坊城俊良  侍従職出仕

平松時賢  侍従職出仕

岡崎泰光  侍従職出仕

久世章業  侍従職出仕

山川三千子 女官

甘露寺方房 侍従職出仕 受長の弟 ここでは甘露寺と表記します。

穂僕英子   女官

山口節子   女官

甘露寺受長 侍従職出仕 方房の兄 ここでは明治神宮宮司在職

         中により、宮司と表記します

 

●平松 羊羹をお肴に御酒を召し上がったということを伺っていますが。

 

●坊城 それは大分以前のことじゃないかと思う。お酒を召し上がったということはわれわれは知らない。当時は葡萄酒ぐらいでした。お菓子も甘くない。砂糖が入っていないのです。

 

●山川 朝のお食前に差し上げるコーヒーは二合入り日本で、黒い色をしていましたが、牛乳が少し入った色をしていました。それを召し上がるのはパンではなくて、生の麩でした。水っぽい餡が入っていました。今でも京都にはあると思います。

 

●園池 お菓子は「あけの玉垣」という道明寺を固めた御紋饅頭だとか、「田毎の月」だとか「武蔵野」といってフランスの国旗みたいに色分けのものもありました。

 

●山川 献上のお菓子はみんな女官達に下されて御上が召し上がるということはありませんでしたが、ご氏名を受けました者が主人になりましてそのお菓子でお茶を立てましたものです。

 

●北小路 お内儀へ入ると美味しいような匂いがしてきたと思いますが。

 

●坊城 あれは更にずっと向こうからくるのです。申しの口の方に女官さん達の女官さん達の食堂がありましたから。

 

●女官は食事の用意を各自の局からしてくるのでこざいますが、冷えるものなどは、そこで温められるようになっていました。辺からの境は閉まることがありません。閉めたらお呼びの時聞こえませんから。

 

〇女官は高位の者が局の主となってそこに下級の女官が家来として付きました。江戸時代の大奥と似ています。ごく下級の女官は通いの者がいました。基本的に宮中の中で生活していました。

 

〇これを改めて通いとしたのは昭和天皇です。

 

●坊城 大膳から上がる決まった食事の他に大正様の頃になると奧でちょいちょいとお好みのものを作って差し上げたこともありました。

 

●お豆腐の田楽とか貝で豆腐を煮た物とか大膳で差し上げました。茄子がお好きで八瀬の丸茄子の大きいのを取り寄せて銅の大きな鍋で煮て差し上げると大変お召し上がりになりました。

 

〇明治天皇が幼少期に召し上がったものだったのでしょう。京のものを好まれました。京都に行幸になると日程を延ばして滞在されることもありました。