〇八幡建治著 昭和55年 私家版

〇明治41年生まれの著者が語る大正から昭和の新潟市

〇表題「下町の子」は新潟市の町中の生まれであれば「しもまちの子」と読むはずです。

〇「しも」とは新潟市の総鎮守白山神社を「上 かみ」一番町とし、大体十二番町以降の信濃川の川口近くまでをいいます。

 

●夜は夜で、表通りの各家から持ち出した、涼み台の夕涼み。好きな涼み台を選んで、将棋指し。たまには「ホレ健ちゃ、ここに来て腰掛けれて、と女の子に呼ばれ、面はゆい思いの中に、星空のロマンチックな物語を聞いたのも、ほのかな青春への芽生えの温床であったのだろう。

 

●ようやく最後の行水を終わったらしい、おかみさんが、井戸につるして冷やしておいたスイカを持ち出し隣の、向かいの涼み台に呼びかけて振る舞う。顔見知りの通行人には「ホレネ、冷たい水でも飲んでいけばいいが、ネ」とコップにブッカキを入れて出してやる。

 

〇私は下町の育ちではありませんが、近所に涼み台はありました。夜暑いときに外へ出て涼み台を使って涼をとりました。このような濃密な人間のつながりは昭和30年代まで残っていたように思います。今でも下町の人は世話好きで親切な人が多いように思います。