〇八幡建治著 昭和55年 私家版

〇明治41年生まれの著者が語る大正から昭和の新潟市

〇表題「下町の子」は新潟市の町中の生まれであれば「しもまちの子」と読むはずです。

〇「しも」とは新潟市の総鎮守白山神社を「上 かみ」一番町とし、大体十二番町以降の信濃川の川口近くまでをいいます。

 

●春秋二回の白山様のお祭りは、最高の楽しみであった。軽業小屋の二階に奏でるジンタに夢の国に誘われたり、メガネのぞきや数多い見世物小屋の前にたたずみ、時折入り口の幕を開いてみせる蛇遣いや玉転ばし達のあざやかな姿に魅せられ、小遣いの中から木戸銭三銭を握り、入ろうかどうしょうかと楽しさ。友達と何度も廻り、鈴木主水や親の因果が子に報い等の口上を覚えたり、夕方のランプの火屋掃除の時間に間に合わず母に叱られる程私たちの心を引き留めていた。

 

〇白山神社のお祭りは今でも盛んです。しかし、テキ屋さんの店の数は減り、見世物小屋も遠い昔になくりました。

 

〇メガネのぞき のぞきからくりのことでしょう。レンズをのぞくと絵が拡大されて紙芝居のように始まり、語り手は歌い調子で説明していきます。これも私は見たことがありません。

 

〇玉ころばし 玉乗りのことであろう。明治20年代に東京で流行った玉乗りのことだとおもいます。女子が玉乗りや綱渡りを見せました。

 

〇ランプの火屋掃除 電気が車ではランプ生活でしたので、暗くなる前にランプのガラスの内側に付いたススをきれいに拭き取らなくてはなりません。

 

〇これは子供の仕事だったようで、私の祖母は明治の中頃生まれでしたが、学校から帰るとランプ掃除をしたと、聞いたことがあります。