〇八幡建治著 昭和55年 私家版

〇明治41年生まれの著者が語る大正から昭和の新潟市

〇表題「下町の子」は新潟市の町中の生まれであれば「しもまちの子」と読むはずです。

〇「しも」とは新潟市の総鎮守白山神社を「上 かみ」一番町とし、大体十二番町以降の信濃川の川口近くまでをいいます。

 

●父が船乗りであったことは前に述べたが、とかく船乗りといえば、陸に上がると若い者は、女郎屋に行くか、番屋で博奕をするのが常例と聞いていたが、その点父はくそ真面目なのか、ことに勝負事に対しては、眉をひそめていた。しかし、若い衆の集まりには一般の習わしとあれば仕方ないという態度であったらしい。

 

●私が小学校四年の時別に博奕などとの考えでなく、友達の家に遊びに行くとよくトランプ遊びをしていたので、私もトランプが欲しいと思って、かねがね母に買ってくれ買ってくれとねだっていたが、母はなかなかウンといってくれなかった。

 

●お正月の小遣いをもらったのを幸いに、正月二日の買いはじめに本町通りの天狗堂に行って、やや小型のトランプを九十銭出して買ってきた。

 

〇今は元旦から営業している店が多いですが、私の中学校の頃までは家の近くにスーパーマーケットやコンビニが無く、デパートなども初売りにバスに乗って行くぐらいのもので、近所の店が開くまでは冬眠のように家に閉じこもり、餅を食べていたように思います。

 

〇本町通りの天狗堂は現存していません。私の子供の頃にはおもちゃの専門店は古町五番町の日野屋玩具店がありました。