〇八幡建治著 昭和55年 私家版

〇明治41年生まれの著者が語る大正から昭和の新潟市

〇表題「下町の子」は新潟市の町中の生まれであれば「しもまちの子」と読むはずです。

〇「しも」とは新潟市の総鎮守白山神社を「上 かみ」一番町とし、大体十二番町以降の信濃川の川口近くまでをいいます。

 

●御座船の後ろからは、一枚歯の高い足駄を履き、八ッ手の大団扇を悠然と打ち振りながら、供の持つ大きな日傘を背にして大天狗様がやってくる。そのまわりを子供達が、恐々逃げては追ってついてくる。

 

〇この大天狗は現存しています。子供達を追いかけることはないようです。

 

●それを押しのけて、泣き叫ぶ乳幼児を背負い、あるいは抱いた母親達が、天狗様に寄り添えながら「お願いします。お願いします」と必死に抱き、体をよじらせ顔をそむけ泣きわめく乳幼児を、無理矢理天狗様のそば近く寄せる。

 

●天狗様が、八ッ手の団扇で乳幼児の頭を撫でてやれば、母親は「ホーラよかった、今年は病気にならんぞ」と満足顔をする。そんなに効くものなら俺もと、町内を天狗様の後をついて歩き、幾度も頭を撫でてもらったが、二ヶ月もたたないうちに、病名も分からない熱病にかかり寝込んでしまった。

 

●もちろん広瀬病院の院長先生が毎日診察に来ていたが、ただ首をかしげるだけで一向によくならなかった。父は小樽に行っており、思いあまった母が、ある日の夕方、神主さんのような格好をした男の人を連れて来た。その人は私の枕元に座って、御幣を上げたり下げたり、何やら唱え言をいっては、私の顔をのぞき込み、息を吹きかけるその度ごとに私は「寒い寒い。吹くなや」と繰り返しながら眠ってしまった。

 

〇医学で原因が分からなかったことは、民間ではお祓いやまじないに頼るしかなかったのです。今では精密検査の方法が確立されて何かしらの病名がつくはずです。